目覚めるにはどうしたらいいでしょうか?
覚者に会いに行く?
瞑想をする?
ここでは目覚められない、と海外にひとり旅してみる?
あなたは目覚めるには何か行動に移さなければならない、今の私だと目覚めることができないと思っていますか?
確かに目覚めとはどこか新しい場所にあるような気がしますよね。
私の知らない世界があってキラキラしている世界。
今住んでいる場所とは違う場所。
あるは目覚めの瞬間何か光が放たれるとか、神様や天使が見えるとか、ハイヤーセルフの声が聞こえたとか、そういう普段の生活からかけ離れた現象が起こることが目覚めの瞬間だと思う人もいらっしゃるかと思います。
もしそう思うならぜひ一度あなたの中を見てみましょう。
確かに何の変哲も無いあなたであるかもしれません。
別にどこか別の場所にいるわけでもなく普通の家にいますよね。
何の光も放ってないし、神や天使が目の前に現れてもいないかもしれません。
ですが、既にあなたは目覚めの準備ができています。
目覚めるには
目覚めとは最初からあなたの中にあったと気づくことです。
しかし今までの私たちはこの思考や観念にまみれた世界で生きていていろんな不要なものを装備していました。
恐れ、不安、トラウマ、環境、特別な存在になりたいというエゴ、正義感、無力感、メディアを通してのプログラミングなどなど。
それらは全てこの世界でくっつけられた思考から生まれたものです。
だってそれらをあなたは最初は持っていませんでした。
そしてさらにそれが自分だと錯覚させる思考がいます。
フル装備をしている私が本当の私だといつに間にか認識していたのです。
この世界は苦しみがある、楽しみもあるが苦しみの先にしか幸せはない、しかも幸せが手に入ったとしても正負の法則によりまた苦しみがくる。
このような世界でサバイバルをするために備えてきた装備、これ、本当はただのガラクタでした。
よくよく考えてみれば思考が勝手に創り出した世界に私たちはいつの間にか参加をしてて鎧を着せられて思考が創り出したゲームに背中を押されながら、気がついたら参加していたようなものです。
思考が創り出した見えない敵と戦っていたのです。
全くもって無意味なゲームです。
前の記事でも書いたようにこの地球で得たものは本当の私ではありません。
私たちが自分を守るために装備してきたたくさんの鎧を一つ一つ取っていきましょう。
するとどうなるかとういうと、最後に残ったもの、そして最初からあったもの、それが目覚めです。
あなたがどこにいようと何をしていようと最初からそこにあったのです。
外には何もない、最初からあなたの中にありました。
思考が隠していて気づかなかっただけなのです。
それに気づく、これが目覚めの一歩です。
ちなみに目覚めという言葉は目覚めている・目覚めてないという本来は分離していないものを分離させるようなニュアンスを含めているような気がしてあまり使いたくないのですが、わかりやすく伝えたかったのでこのような言葉を使っています
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