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自然は先生【ただ在るという生き方】

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自然幸せ
自然
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めっきり寒くなりましたね!

鹿児島も流石に朝晩は冷え込みます。

しかしお昼はまだ暖かくて過ごしやすいです^^

 

自然

▲桜島。かっこよすぎです。鹿児島に来ることがあれば一度は目の前で見て欲しいです!

 

自然

▲ちょっと前に撮ったハイビスカス。10月下旬に写真を撮ったのですがまだこんなに綺麗に咲いてたとは!と思ってパシャり。

 

 

最近は芝生の上でぼーっとしたり本を読んだりすることが多いのですが、特に自然を目の前にすると自然の美しさに見とれてしまいます。

屋久杉を見に屋久島にも行きたいなと思っているのでタイミングが合えば行くかと思います。

 

 

でもわざわざ大自然のところに行く必要はなく、公園にある木などを見ても自然の美しさは十分感じられます。

 

自然

 

なぜ自然が美しく見えるのかというと、自然とはただ自分の存在をあるがままとして存在しているからなのでしょう。

風が吹けば身を任せて葉を漂わせ、太陽が当たれば木々の隙間から光を照らす。

勝手に鳥が休んだり、時には勝手に巣を作るが木は何も言わずただそこにいますよね。

「え?なにヤダ!勝手に巣作らないでもらえる?そういうのどうかと思う!!」と言って木が鳥の巣を壊すことないですよね。

 

 

そして自分がどんなに大きかろうと他のものを馬鹿にすることも比べることもなく、ただそこにある。

 

 

もちろん木だけでなく小さな花でさえ何かに怯えることは決してなく、ただまっすぐ自分の生き方を生きている。

誰もが自然が美しいと感じるのは人間が自然のようになることを希望としているからなのではと思うのです。

 

自然

 

 

人は自然を先生として学ぶことがあるように思います。

自然のあり方というのは私たちキャラクターからいらない観念やプライドや想念など取り払った本当の私の状態を「形」として見えるようにしたものではないでしょうか?

 

 

誰かと競うことをせず、己が生きたいように生きる。それって誰もが望むことですよね。

その生き方を教えてくれているのが自然です。

 

 

私たちはそれに気づくためにいろんなところにヒントを散りばめてこの世界を作っています。

この世界は自分を鏡として見せているというのはよく聞く話ですが、他人に限ったことではなく、実は自然ですら私たちの鏡と見た場合、納得がいきます。

 

 

自然に触れる時間を作るということは「時間という概念」に縛られて生き急いでいる人間にとってとても大切なことだと思っています。

生き急いでいる人というのはどこか自分に満足していない人ばかりです。

外に対して不満を溜め込んでいる人ばかりです。

 

 

不満や不足というのはどこにも存在していません。

ないものに追われているから急いでいるのです。

 

 

少し立ち止まって自然に触れてみてください。

すると自分の中には心配するようなことは何一つないという瞬間を見つけるかもしれません。

自然は私たちの先生です。

気づきをもたらしてくれますよ^^

コメント

  1. ニカ より:

    はじめまして!
    私は今、mihoさんのブログを日々拝見して、今まで読んだ意識や思考を手放す、瞑想する系の本(私のお気に入りは、『パスワーク』という本で、それこそ5、6回繰り返して読んでいます。)が、ああ、ここにスッキリととシンプルにまとまっているなぁ!と思いました。

    今回、素朴な疑問がわきまして、是非mihoさんの意見を教えて頂けたらと思いました。

    他人が見ている世界(それはその人が創り出している世界)を、その人がたとえばFacebookにアップしたら、私はその記事を読む、というのは、その人の世界をただ見ている私がいる、そういう世界を私自身が創り出している、という事になるんでしょうか?そうだとして、もし、私が見たくない、見ると不快になる記事が目の前の画面に現れているというのも、私自身が創り出している世界なのですよね。だから、見てしまったものはいったんまるごと受け入れ、感情ごと手放し、そして新たに見たくない世界を見る必要はない、と意図すれば、私が望む状態になっていくのかしら、、と思いまして。

    まぁ、SNSを使わなければいいじゃないかと言われればそれまでなのですが、私は自分の撮った写真などをSNSを通じて人に見てもらいたいという望みがあります。ただ、SNSを開けば、自分が見たくない記事も現れてきます。(ブロックするとかそういうレベルの話ではなく)それは、他人の意図した世界に私がのまれている、、どう表現したら良いのか難しいのですが、私自身の意図、つまり望みをはっきり明確にすれば、見たくないものは流れ込んではこない、、見たくないものが私の前に現れるというのは、SNSに限らず、私が意図を明確にしていないから、プログラミングされた思考が、そういう世界を創り出しているのかなと思いました。そんな理解で、私、合ってますか??

    お時間ある時に、どうぞ教えて頂けたら嬉しいです。

    なにより、私自身、mihoさんのような方がいらっしゃるということが嬉しくて仕方がありません。(o^^o)

    • mihomiho より:

      ニカさん、はじめまして^^
      コメントありがとうございます♪
      特に最後の一言など、すっごく嬉しいです笑

      パスワーク、初めて知りましたが思考(キャラクターマインド)に気づくということを話されている本みたいなので良書かもしれません^^
      教えていただきありがとうございます^^

      SNSで見たくない記事が出てくる場合ですが、それを見ている世界を作り出しているのは紛れもありません。
      が、そこは特に問題ではありません。では何が注目すべきところかというと、その記事をみて「何かしらの反応をしている私がいる(本当は思考や感情ですが)」というところです。
      見てしまったものはいったんまるごと受け入れ、感情ごと手放す。ということが私の伝え方と同じなら流していただいて構いませんが、
      何かに反応している思考・感情がある、に気づく(細かいですが、ここで重要なのは「私が感じた、私が思った」と、私と思考を一体化しないでくださいね)→「私」と「思考・感情」との分離が起きる→これは私ではない、と手放す
      これを繰り返していくとその記事が現れてもだんだん気にならなくなります。
      それに反応しているのは「私」ではなく移りゆく(幻想である)思考だからです。
      気にならないものは必要のないものなので、いつの間にかニカさんの世界からなくなるでしょう、あるいはあってもなくてもどうでもよくなります。

      そして見たくない世界を見る必要はない、と意図する。というのをニュアンスを変えてもいいかもしれません^^
      「私の見たい世界を見る。」こちらの方が嫌な感情がベースにないのでいいかもしれません。
      ただどちらが意図しやすいかは人それぞれなのでそこはニカさんにおまかせです^^/

      どうでしょうか!?
      もしもうちょっと分かりやすく!とかここが分からなかった!などあればまたコメントいただければと思います^^
      他にも気づきがあればシェアもお待ちしてますね♪

      • ニカ より:

        mihoさん
        ご丁寧な返信ありがとうございます(o^^o)

        反応しているのは私ではなく、流れ行く思考である、、

        そして意図は、私のみたい世界を見る、、

        面白いですね、、本当に面白いです。
        よくよく理解できました。

        意図することについてもう少し教えてください(๑・̑◡・̑๑)

        いわゆる、「トラウマ」がある場合、それに似たような状況が起きそうで(実際、起きたので思考は恐れを感じています)、まだその人(この人自身は良い人ですが、なんせ冗談がどぎつくて、冗談と分かっていても、結構ダメージがあります。)と会う前ですが、思考がどうしても、過去の似た状況と関連づけてしまい、(mihoさんの記事にもありましたね、恐怖は思考からくると)、この根深い思考のクセを治したいのですが、思考は思考だから、”治す”ことより、新たな意図を創り出した方がいいのかなぁと思ったり。。

        もし意図するとしたら、「その人は私が傷つくような冗談は言わない」だと、まだそのイメージベースですよね、、明確に、「その人は私を尊重する」の方が良いのでしょうか?

        トラウマと関連づけたがる思考は、抑えが効かないです。抑えないで受け入れて手放そうとするのですが、何回も何回もやらないと繰り返しわいてきます。でも、なるべく、エネルギーの循環を固まらせたりしないように意識しています。

        意図することに関してに加えてなのですが、トラウマと似た状況が起こる、というのはmihoさんはどのように解釈しますか??

        お時間ある時に教えて頂けたら嬉しいです(^-^)

        • mihomiho より:

          ニカさん
          こちらこそ返信ありがとうございます^^

          トラウマですがトラウマというくらいですからパッと切り替えるのは難しいかもしれませんね^^;
          だからこそニカさんがおっしゃっている通りで何度も手放すを繰り返してもいいんですよ。
          大丈夫なんです。一気に解決しなければならないという訳ではありません。

          本題にいきますね^^
          意図ですが、その人に対しての意図をしても仮に願いが叶ったところでこのパターンだとその人がやらなくなったとしても他の誰かだったりと次がやってくると思います。
          やはり根本のトラウマを押さえ込んだ願いというのは根本がネガティブでできているからです^^;

          トラウマをトラウマと認識しているニカさんがいる限りどんな形であれそれはついてきます。
          私のオススメは【ザ・チケット】強力な言葉「それでも構わない」【108】の記事です!

          人間は良くも悪くも思考と付き合っていますので傷付いたりします。(思考がね)
          で、その思考はニカさんが傷付いたと思わせることにより思考は存在し続けることができます。
          こいつを無くしたいですよね笑

          根本であるトラウマを癒す必要はあります。
          しかし、イメージングやワークなど難しいことは必要ありません。
          (あっワークになるかもしれませんが)

          「トラウマに対して恐れを持っている。が、それでも構わない。」と心の中でもいいので言ってみてください。
          次の瞬間「んな訳ないじゃん!こっちは傷付いてるんだよ!!」と出てくるかもしれません。
          それ自体を観てください。そしてそれすら「そう思っても構わない。」と更に言ってください。
          これを思考が湧き上がったら何回か繰り返してください。

          思考はニカさんが逃げようとすればするほど追ってきます。
          思考が発したことに対して「それでも構わないよ」と寄り添おうとすると騒ぐ必要がなくなるので居づらくなりだんだん小さくなっていきます。

          あと、時間の概念についても合わせて感覚的にわかったら思考が小さくなるのが早くなるかもです!
          時間という概念との付き合い方←これがいいかなぁ。
          時間の概念についての記事なので読んでみてください^^

          トラウマは人によってはデリケートに感じていらっしゃる方もいるので参考になれてなかったらすみません>< また分からないところがあったら補足しますね!

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