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全てに意味はない

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全てに意味はないノンデュアリティ
全てに意味はない
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全てに意味がある。

だから今はわからなくてもこの時のあれはこのためにあったんだ!といつかわかる時が来る。

 

以前はそんなことも思っていた時期もありました。

 

現状から逃げたい時、世界に反映された私の現状を見て感情が辛くなる時など色々ある時に特にそんなふうに考えて心の逃げ場を作りたくなることもあったなと思います。

 

あるいはスピリチュアルに関心があると結構この言葉を使ったりも聞いたりします。

「これも意味があって起こってるんだから!あなたに必要なことなんだよ♪」

とアドバイスをする方やされる方もいらっしゃるかもしれません。

 

しかし本当にそうでしょうか?

(このブログを読んでる方は最初からお気づきだとは思います笑)

 

 

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全てに意味はない

 

そうです。

全てに意味はありません。

なぜなら世界に意味をつけているのは思考だからです。

原因と結果の関係性は本来ありません。

そのように私たちが思い込んでいるだけです。

 

AになったらB

AしたからBになる

今思えばこれはあの時のあれのおかげだ

 

これらは時間という概念が作り出した壮大な罠です。

 

本当は何も関連づいていないことをなんとか思考が納得するような形で認識したいという表れです。

 

「これも意味があって起こってるんだ。今私に嫌なこととして起こっているのは私に必要なことなんだ」

 

はい、これも全くの嘘です。

 

この世界のストーリーに意味づけしているのは思考であり、そしてそのストーリー自体も幻想なのにこれをどうくっつけてその結果になっているのか実は証明することができませんよね。

 

もしかしたら過去を振り返って、「あの時のあれはこういうことだったんだ」と思うことがあるかもしれませんが、それも幻想です。

その幻想に対して一体どう繋がりを証明すればいいのでしょうか?

 

そう思うことによって私は何かに導かれている、などと思いたい(思いたい理由はなんでもいいのですが)思考があるだけです。

 

意味づけをしようとすればたくさん思いつくことでしょう。

それは果たして因果関係は関わってくるのでしょうか?

ある意味なんとでも意味づけできることがこの世界を楽しめる醍醐味ではありますが、それは感情を揺さぶることにもなります。

いい感情もあれば嫌な感情も出てくる。

 

本来意味を持つ必要のない感情や思考が出てくるということです。

 

まぁそれもOKなのですが、淡々と起こっていることに深い意味を持たせているのは誰か?ということになります。

 

なのでどう解釈するでもいいし、解釈すること自体意味のないことでもありますが、つまりは深く考え込まなくてもいいということです。

気楽にいくことを世界は常に見せてくれています。

 

逆に気楽すぎて周りに心配がられるところまできたら大成功笑

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