人に何かをする時、あなたはどういう意図を持ってしていますか?
1.したいからする(しようと思ったからする)
2.これをしてあげることで何かいいことがあるかも
相手に何かをする時に上記のどちらかの考えが出てくるのではないでしょうか?
2番の方はかなりエゴが働いているというのが文章にしてみると分かりやすいですね^^;
誰かに対して怒っている人の理由を聞いてみると「やってあげたのにお礼がなかった!!」とか「やってあげたのに私にはしてくれない!」などいう人がたまにおられます。
私には!?私には!?と私のことばかり笑
つまりこういう人は相手からの感謝・見返りが欲しくて相手のために行動していたわけです。
2番のようにエゴの判断で何かをした時に起こる反応がこのようなことです。
相手のためのように見せて自分の中にあるエゴを(エゴがご飯をもらう)満たしたいだけです。
間違った徳の積み方
間違った徳の積み方をしている人はこういうことをしているので、なかなか自分にとって幸せだと感じることを見つけにくかったりします。
人のためにこれをやったからきっと魂が成長した!だんだん人のために行動することができるようになってきた♡さて、いつ私には幸せが降りてくるかな?♡となっている人いませんか?
これは完全にいらないエゴだらけで(エゴを生存させるためにご飯を与えてばっかりで)一向に本当の幸せに気づくことができません。
徳というのはやってあげたら積み上がるというものではありません。
徳という概念自体エゴのご飯になるくらいだと思っています。
本来の私でいる。
それができたら相手から感謝を望む必要はありません。
本来のあなたとキャラクターのあなたの意図が一致している時に果たしてそこに不足や不幸は存在するのでしょうか?
あなたのままであることが完璧だとキャラクターのあなたも気づきだした時、損得勘定なしにあなたの目の前で起こっていることに対してあなたがしたいことをする。
それは感謝されることかもしれないし、されるようなことでもないかもしれない。
でもあなたの完全なる幸せを揺るがすものではありません。
やはり大事なのは私と思考は同じではないと気づくこと。
分離をすることだと思います。
分離とは気づくこと。それだけです。
あなたは間違った徳の積み方をしていませんか?
特に近しい人とか職場の人とか人間関係ではこういうことがトラブルとなっていたりしますよね。
もちろん私もそれをしていましたし、それに気づいたからこの記事が書けています笑
100%相手が悪いと思っている人、今一度自分がどういう思考で相手に接していたか振り返ってみてはいかがですか?
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