最近お皿や保存容器(オートミールやナッツを入れる用の容器)やコーヒーカップなど、いろんなものの色を無意識にグレーを選んでしまいます。
グレーが最近好きなんです。
雨雲も好きです!
きっと白黒つけれない、それが本当なのだと気づいたからですかね。←テキトー
ということで今回は何事にも白黒つけたがる人には読んでほしい記事にしようかと思います。※いやっ繋げ方雑
人間というのは白黒つけたがります。
はっきりさせることを好みます。
好むというのは良い悪いどっちだろうと明確にしなければ気が済まないのです。
例えば
「私はちゃんと真面目に働いてるのにあの子は遅刻もするし仕事もできないのに男子にちやほやされて、ムカつく!」とか
「この件に関して100%あなたが悪い!だから謝ってほしい!」とか
人間関係だけでなくても例えばUFOがたくさん目撃されているのに頑なに地球外生命体は存在しない、あれは全て作り物だ!!と思っているとか笑これも白黒つける思考ですね!
※ちなみに全てが本物だとは思っていないですがUFOを否定することは私はできません^^
私がよく読むヘルメス・J・シャンブさんの「“それ”は在る」から一部を紹介させていただきますと
「例えば、虹を考えてみるがいい。
虹という一つのものの中に、さまざまな色の変化がある。
一つの色は、独立して存在しているのだろうか。
赤と紫と青・・・・・、それぞれが独立しているように見えながら、完全に独立して存在できるものなどありはしない。
色と色の明確な境界線がどこにある?
これは『赤』、これは『紫』、これは『青』と人は言う。
だがそれらの中間色を見て、さらにその中間色というように細分化していき、この色は?と尋ね続けたなら、いったい人はなんと答えることになるだろう?」
「いかなるものであっても、必ず、曖昧で、区別分別不可能な領域がある。
そして人は、曖昧な領域を好まない。
曖昧ではいけない、ダメだ、と考える。
それがなぜかわかるかね?」
「なぜか。
自我(エゴ)は分離を成立させるために、境界線を好むからだ。
なんであれ、区別分別をして、皆別々の存在である、と言い続けなければならない。
もしも境界線が見えない時、自我(エゴ)は『理解できない』と言うだろう。
そして、『理解できない』ことについて無理やり結論を出すか、あるいは、そのまま目を逸らして忘れようとするかもしれない。」
「勝ちか、それとも負けか、人は常にそのようなことばかり考えている。
なぜならそれが、自我(エゴ)が生きるための栄養だからだ」
「自我(エゴ)の死とは、個人という分離した存在などあり得ない、という事実が明らかになることだからだ。」
私たちが見ているこの世界には本当は何も定義できるもはありません。というか定義する必要はないのです。
それは定義した瞬間に「私」と「それ」という分離が行われるからです。
境界線を好むためにわざわざ物事をはっきりさせたがる。これがエゴのしていることなのですが、それにつられてキャラクターも躍起になってしまいます汗
白黒つけない
しかし本当は境界線などなく、白黒つけるべきものは最初からないのです。
全てはグレーです。
もちろん白黒を楽しむのもいいのです。
それすら楽しむために私たちはこの世界にいます。
でも知ってて楽しむのと知らずにエゴに栄養をただ与えていただけでは世界の見方が変わってきませんか?
あなたが悩んでいるもの、それは白黒つけるべきものですか?
それはただエゴに栄養を与えているだけになっていませんか?
エゴに栄養を与えてもエゴはあなたに何も与えてくれません。
その代わりひたすら境界線を見せるだけです。
この世界に不必要な境界線を作るのはそろそろやめにしましょう^^
ぜひ今までどんな境界線を作ってきていたかシェアもお待ちしております。
気づけば手放せます。
ちなみにこれが私が読んでいる本です。
新書はもう売ってないみたいなのですが、古本でもいい方、気になる方はぜひ読んでみてくださいね^^
コメント
こんにちは!
mihoさんが推薦されていたので、数年ぶりに読んでみました。
そしたら、前とは比べものにならないぐらい分かるようになっていて、びっくりしました。
そして前よりずっと面白く読めました。
今は「無」の時間を少しずつ取っています^ ^
完全にこういう生き方になるのはずっと先かもしれませんが、「本当の自分」とエゴの関係性が分かる良書ですね!
みちこさんこんにちは!
コメントありがとうございます♪
ヘルメスさんの本ですか?既に持っていたなんて!!
私は昨年この本を見つけたのですが、確かに私も今だったからこそこの本に出会えたと思っています。
それより前に読んでても全く理解ができなかったでしょうから笑
何度も読み直しますが読むたびに気づきがもらえるのでありがたい本ですね^^