今日はちょっといつも以上に普通のタイトルになってしまいました。
先日こんな記事を書きました。
それと似たような話になるかもしれませんがお付き合いください笑
否定的な判断をしがちな人は気づきを得られにくい
私がたまにおすすめする方の本を紹介するときにAmazonなどから書籍を引っ張ってくるときに、レビューを見たことがありました。
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エリック358さんのレビューでコメントをしている方の中で、それは感じ方がキャラクターそれぞれなので特に気にしないのですが、一つ引っかかったところがあるのでそこを話そうと思います。
著者の言っていることは合っている部分もあるが、間違っていることもある。
著者は、顔も見せず、ブログに思い違いを書いているだけで、何一つ願望実現できなかったでしょう。
ブログも更新されず止まってしまっています。
間違っているんだから、当たり前です。
人前に出ようがないでしょう。
というような内容だったのですが、「願望実現できてたらブログを続けているはずだ」、という観念があるようです。
私自身もブログをやっているのでこのコメントは「?」でした。
その関連付けってコメントされた方の思い込みだなぁと。
もちろんその可能性もあります。
著者にしか分からないので^^
しかし、こういう話をしている私からすればブログを更新しなくなるのも自然なことだなと思っております。
なぜなら、その人にとってブログを更新する必要性がなくなるから、です。
私の語彙力のせいでちょっと難しく聞こえたらすみません・・・
ブログとは基本的に見てくれる人がいるから書くという人が多いのです。
で、このような世界のカラクリを話している人は、読んでいる人も実は私自身である、ということに気づいているのです。
そして、目の前の人が私自身だと知りながら願望実現(大体の話が叶ってない→不足)の立ち位置の方向けに話をしているということは本来ならあり得ないんです。
すでに私は幸せであり、ただの「在る」であり、ただの一つの意識である「本当の私」が本当はこのような誰かにむけた内容を書くというのはおかしな話なのです。
エリックさんはそこを知っていてブログを更新しなくなった、かもしれません。
ちなみに私はただ書きたいから書いているし、いただくコメントのやりとりをキャラクターのmihoは楽しんでいるので続けていますが、本当は書く意味はありません。←爆弾発言だったらすみません笑
判断(ジャッジ)の繰り返しはあなたというキャラクターを形成する
なのでその人の状況を勝手に判断してこれは間違っている!と判断している思考に気づかなければなりません。
私たち人間は小さなことでも意識的でも無意識的でも何かしらを判断しています。
その判断があなたのキャラクターを形成しています。
その判断は思考が行っているものなので気づけばいつでも変えられます。
思考の判断を疑え
自分の判断を疑ってみてください。
思考の判断を疑ってみてください。
判断(ジャッジ)は、してしまえばそこで終わりです。
判断した後でもこの判断は誰にとっての判断なのか?など疑うことにより気づきが得られます。
誰かに対してジャッジをする必要はない
最後に一番大事なことですが、もし誰かに対して「そうだ!」「そうじゃない!」という判断が出てきたときにその判断をしているのは誰か?を見ることです。
それはあなたがしているのではありません。
思考が判断していることです。
なので誰かに対して何かわざわざアクションを取る必要もありません。
それも全てあなたの世界でただ起こっているだけなのです。
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