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幸せになるためではなく幸せだったと気づく、それだけ

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私たちの生きる目的が幸せになるためだと、幸せになるために今があるとどれほどの人が思っているのでしょうか?

幸せになるために生まれてきたと思っている人も同じこと。

 

 

幸せになるために何かを頑張る、必死になるというのは前提が不幸せだと自分を認めていることになります。

「私は今不幸なのだから幸せを願うのは当たり前じゃないか!!」という方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

あなたが一つ一つ選択してきた意図が今のあなたを創っています。

しかしその意図は気づかなければ、あなたの中に潜んでいる思考が作り出したエゴを元に「あなた」が自分自身の世界を創ってしまいます。

エゴを採用しているあなたが作っています。

 

 

自分で不幸を作り出しているのに私は幸せになりたい!!と願う。

この矛盾に気づいていますか?

この矛盾があなたの世界に起こっています。

だから「幸せになりたい!」と言っている人はいつまでも幸せに気づくことができません。

 

 

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「幸せに気づくことができない」の意味

幸せに気づくことができないということは不幸であることとはイコールではありませんよね。

そうです。

幸せに気づけてないだけであってそれは不幸ではないのです。

というか不幸には本来なることはできません。

 

 

なぜ不幸だと思うのか

なぜ不幸だと思うのでしょうか?

まず本来の自分が好きだと思うことを思考があれこれ言ってそれをしないように仕掛けてきます。

それは別に今に始まったわけではなく小さいころからの影響が積み重なってできました。

それが自我(エゴ)を形成しているのですが自我というだけあってエゴ=私だといつの間にか認識するようになりました。

 

 

好きだけではやっていけないよ!と外の世界でもよく聞きますがあれが自分の中でも起こっています。

そのエゴのささやきによって私たちはしたくないことをいつの間にか選択し、それが私自身の意図でやっていると錯覚しています。

そしてその世界の反映が起こり本来の私が望んでいない世界をみて「これは私が望む世界じゃない!こんな世界にいる私は不幸だ!」となるのです。

 

 

まぁ、もっと大きな視点に立つと実はそれ自体も楽しんでいる私というのが本当の私です。

幸せと不幸、これはキャラクターがある地点にいてジャッジしているから起こることです。

それをジャッジすることを忘れ、ただあるがままにストーリーを捕らえると実は幸せや不幸という判断するべきものはありません。

 

 

幸せになるために生きるということをやめ、今の自分をただあるがままにみること。

そうすると不思議ですが元から自分は幸せに在ったのだと気づき、本当に幸せだと感じることが外の世界にも反映してきます。

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