エゴと戦ってきた人たちへ
引き寄せの法則を頑張っている人(という表現があってるかわかりませんが)、知識がだんだん増えてきた人が陥ってしまいがちなのが「思考(エゴ)は悪いものだ」という認識になってしまうことかなと思います。
なぜなら私がそれに陥って「引き寄せって難かしい!よう分からん!」ってなったからです笑
エゴはあるとやっかなもの・あると願いが叶わないなどと難しく考えてました。
どうしたらエゴを沈めることができるか・・・エゴがあるから私はダメなんだ・・・と。
でもそうじゃないんです!
エゴを消すとか、小さくするとかエゴをどうにかするとか、そもそもそれ自体が間違っているのです。
思考は本当の私ではないのでそこに焦点を当てて私のものだからなんとかしないと!ってやる必要すらないのです。
エゴも思考の一部(というか大部分ですが)なので本当は私のものじゃないんです。
だからどうすればいいんだろうと何かをする必要がないんです。
思考は本当の私ではないのですが、私の中にお邪魔しているもので、もはやあって当たり前のやつなんです。
意識という私がこの世界をいかに楽しくするかと考えた結果、思考やエゴが備え付けられてしまったって感じですかね。
だからキャラクター視点しかなければ思考は私から発生しているもの、私のものだからなんとかしなければならないと思考と戦わないといけない。
でも思考と分離した視点に戻れば、思考は私と関係はないとはっきりわかります。
そこにあるけどそれは重要なことではないのです。
思考に重要度をつけてしまうとそれにとらわれてしまいます。
エゴとの付き合い方
思考は私ではありません。
なのでエゴも私ではありません。
だから思考・エゴが騒いでるのなら
「・・・騒いでるね。」
で終わればいいんです。
思考はかまってちゃんなので必死に騒ぎますが、それに同化しなければ本当の私でいられます。
本来はそこに問題はないのです。
思考に同化して世界を見てしまうので問題が起きるのです(問題が起きているように見える)。
思考に寄り添ってあげる必要はありませんが、悪いもの!と認識することも実は寄り添っているのと同じようなことなんです。
なぜなら思考に意識を奪われていることには変わりがないからです。
思考に意識を向けるのではなく、本当の私視点を持っていることに気づくこと、思考が今あるな、と気づくこと、それだけで十分なのです。
注意を向けてもらえない思考・エゴというのは存在できないので、結果いなくなります。
存在しているということはそこにエネルギーがいってるという目安にもなりますね。
ただ、気づくだけでいいんです。
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