私のストーリー的に見ると夢や目標がないことってなんか・・・未来に何も期待してないグレちゃった人をイメージするかもしれません笑
もちろんやりたいことが湧くとそれをぜひやってほしいし、楽しいことを考えるのも自然にやってることなのでなんの問題もありません。
しかしこの非二元に触れたら夢や目標もあってもいいしなくてもいい、ということがわかります。
わかるというか理解するということではなくて夢や目標が湧かなくなるのが基本、くらいになります。
夢や目標はなくても全然オッケー
夢や目標っていわば「未来」ですよね。
未来のことを考えることは私たちキャラクターにとっては得意なことです。
もちろんそれをすることを止めることはできません。
未来を考えることも思考がやっていることなので私には止めることはできません。
もしかしたら今までのキャラクターである私の考えだとしたら何かしら目標がないと人生やっている意味がないのかしら。。。
だったり、無理矢理キラキラしたことをすることで何かに近づける・・・いろんな考えがあって先のことに思いを馳せることもあったかもしれません。
夢や目標は未来という時間の概念の先に見るもの
しかし、今、非二元のここには先という未来もまたその反対の過去も存在しないのです。
幻想である時間というものの先に見てしまう夢や目標を絶対叶えたいものとして捉えるのもなんか不思議な感じがしませんか?
時間が幻想であり、ここにはただ起こっていることだけがあるということは未来のことを予測すること自体ができなくなります。
気づきが起こると夢や目標がある意味どうでも良くなる。それが非二元
何かを求める必要もない完璧な場所。
私たちはただ流れる川のように起こっていることに意味を見出そうとしたりすることでストーリーを作り出します。
それはさまざまな夢や目標をたてたくなる人も出てくるかもしれません。
もちろんそれはそれで何も間違っていることはございません^^
全ては完璧な流れ、そしてそれすらも自分ではやっておらずただの流れなのです。
目標がないならないでそれも正解。
なぜならその先というのは何も決まっていないからです。
非二元の世界への気づきが起こった後の無力感に「これは大丈夫なの?」となることもあるかもしれません。
またはその無力感や無気力みたいなものをマイナスに捉えてしまって自暴自棄??みたいな感じになったりもするかもしれません。
でも大丈夫。
それも思考がただ焦っていることなので何も問題はありません^^
それを繰り返すかもしれませんが、それすらもただ起こっているだけと気づきだします。
全てはただ完璧に起こっているだけなので焦りや不安は何も存在しません。
だからこそ焦っても不安になってもそれでもそれが完璧なのです。
その先には何もありません。
安心しかない。
何かあっても何もなくても大丈夫なのが私なのです。
このダグラスハーディングの思考実験も面白いのでお時間があるときにでもぜひ。
コメント