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安心してください。目覚めた瞬間光や新世界が見えなくても大丈夫です。

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奇跡体験ノンデュアリティ
奇跡体験
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悟りたい!どうやったら悟れるのだろう?

どの状態になったら悟ったと言えるのだろう?

 

悟ったときに現れる現象を調べたり・・・

 

色々頑張ってしまうことがあるかもしれません。

特に最初のうちは調べていろんな人の奇跡体験なども漁ったりしてしまったり。

 

いろんなネットを見ると、例えば

「悟ったときに起こる現象3つ!」

とか

「目覚めが起こるサイン5つ!」

などなど

 

しかしそれは全く必要のないことなのです。

 

 

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目覚めた瞬間光や新世界が見えなくても大丈夫

 

光

 

 

何か不思議な体験をすることが目的ではないはずです。

何か不思議な体験をすることによって目覚めが起きるんだ、悟りに達するんだ、という考え自体が既に幻想です。

 

本来は因果関係は存在しない

 

因果関係

 

〇〇だから△△

という因果関係はここには存在しません。

 

そして目に見えるものによってさらに判断することになりますが、それは正直意味がないのです。

 

光を見たりや別次元に行くことが悟りの境地にいった証拠というのももちろんその因果関係に陥ってしまっています。

こんだけ学んだから、とか、こんだけ頑張っているから奇跡体験が起こるかもしれない

そのように思考が考えているかもしれません。

 

あるいは

 

頑張っているのに何も奇跡体験が起きない!

もう私はダメなのかも・・・

というのも振り回されています。

 

現実的に何かアクションが起こらなければいけない

何かしら奇跡体験をすることが条件になっている

 

これらは全て幻想です。

 

ちなみに奇跡体験が絶対起きないと言っているわけでもありません。

 

この世界は勝手に起きているので本来私たちが想像できない面白いことが常に溢れているものです。

それでもいいのです。

 

つまりはそのこと自体に囚われてはいけないのです。

 

 

目覚めは驚きなどなくただただ静かで安らぎしかない

 

過去にも何度もこの動画を載せているのですが、本来の私への気づきがわかりやすいものを紹介します。

 

 

目を閉じた実験というもので、目に見えるもの感じるもの、全てが幻想であり

そこにはただ在るしかない。

 

そこに気づいたとき、きっとあなたはきゃー!!と騒ぐことはしないでしょう。

ここは何もない、でも全てが満ちている

誰かが何かを指し示すことも導くこともしません。

誰もいないから当たり前です。

 

不思議な体験をするわけではないのに大いなるもので在ることを思い出すような感覚。

ただただ静寂に包まれている、というか静寂そのものである。

 

それだけです。

 

それだけなのに莫大な安心感があります。

 

もはや幻想の世界すら私が包んでいる。

 

 

外の世界に目覚めは存在しない。サインもない

 

ワタシ

 

誰かや何者かが映し出す目覚めのゲートというものは存在しません。

奇跡体験があなたを悟りの道に連れていくわけでもありません。

既に私がそれでありそれしかないのです。

こうすれば目覚める、悟れる、そのようなものは存在しません。

誰かが作り出した定義に惑わされないでください。

「それ」は実は最初からあったのだ、と。

 

 

非二元に気づいたからといって特別な人間になるわけではない

 

本当の私に気づいたからと言って特に超能力が手に入るわけではありません。

その瞬間から超スピリチュアルな体験をバンバンするということもありません笑

 

目覚める前、私たちは起きてご飯を食べて働き寝て

目覚めた後、私たちは起きてご飯を食べて働き寝る

 

 

いたって普通です笑

ただ世界に対する認識が変わってきて心が軽くなるかな?という感じです。

私そのもの自体も(体を持っているキャラクターの私)幻想でありもちろん目の前の他人もただ映し出されているキャラクターです。

苦しい世の中しか見えなかった、というところが見えなくなってきたりというのはあるかなと思います^^

 

そうするとやりたいことが見えてきたり(スッキリしたり)でやりたいことが直感として見やすくなって引き寄せにつながる、ということもあります。

一瞥体験やスピリチュアルな体験をすることはワクワクするでしょう。

でもそれが目的にならないように注意しましょうね。

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