「問題」は問題があると「あなた」が判断した瞬間から生まれます。
問題はどこにもありません。
ただ起こっていることに意味を見出そうとしていることに過ぎません。
世界を見ると、最近では脱炭素、地球温暖化、BLM(Black Lives Matter)、人種差別など起こっているようです。
こうすることが正しいのだ、これは間違っている、絶対に許さない、などという感情は出来事をどう判断しているかで出てくるものです。
全ては一人一人の問題を思考で解決しようとしていることがただ起こっていることを問題と捉えて自分の中で大きくなります。
しかしどうでしょう。
例えばもし人種の違う人や何か自分とは外見が違う人とあなたが出会うことで何か不都合なことは起こっていますか?
何も起こっていません。
なぜならあなたがあなたの世界で見ているものに何も不都合なものはあるはずないのですから。
不都合なものがあると思えばそれを感情や行動といったように具現化するでしょう。
しかし何も意味もない風景、それはその名の通り何も意味もありません。
キャラクターである私はどんな風景にも色をつけます。
赤い色かもしれませんし黒い色かもしれません。
色によっては感情を揺さぶられることもあるでしょう。
その色を他の人が塗っているわけではないのになぜかそれを人が塗ったと勘違いもしてしまいます。
私ではない誰かがやったんだ、誰かがこの風景を壊したんだ!と一人芝居をしています。
そしてその色自体にも何も意味はありません。
ただ重ねて何かの色を塗っただけです。
赤い色だろうが黒い色だろうが色がある、だけです。
ただ起こっていることに意味を持たないで、と言っているわけではありません。
それを楽しむためにキャラクターである私はいます。
大切なのは包括するところまでただ起こっていることなんだ、と知ればいいのです。
それを知っているとどんな感情になりたいか、新しい選択ができてきます。
問題に積極的に参加するかもしれませんし、正しいか正しくないかは関係なく心地よくないから参加しない、となるかもしれません。
もしかしたら「なんてひどい!!」「声をあげることで世界は変わるんだ!」と叫ぶ方もいらっしゃるかもしれません。
その方はどうぞ問題に積極的に参加すればよろしいと思います。
しかし自分が心地よくないことに意識を向けることが問題を作り出しているので死ぬまで解決はしないでしょう。
でもそれすら楽しんでいるので大丈夫なのですが^^
よくこのブログを見てくださる方にはぜひ、「私が心地よくなる選択をする」のを大切にしてほしいと思います。
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