私たちは思考ではないが思考と同一化しているという状態がほとんどです。
思考が私たちの本質であると思い込んでいるとどうしても直感よりも合理的、安全的な方へ進みがちになります。
もちろんそれでもいいのですがそのくせ思考に沿って人生を歩みながらも「つまらない、不満が溜まっている、私は幸せにはなれない」となどと言っているのです。
これはとてもおかしな現象ですよね。
これはおかしい・・・その判断は正解です笑
これはおかしいと思った時が思考との分離のスタートとなります。
この時点にきた時にやってみてほしいことがあります。
目を閉じた実験
このブログでもなんども紹介している動画がこちらです。
この中の「目を閉じた実験」というのが思考が私から剥がれ落ちるのを感じやすいなと思っており、オススメしています^^
目を閉じて、何もない場所に立ち、自分に問いかけてみるのです。
「この世界で見たもの、聞いたもの、触れたもの、知ったもの、全てに頼ることなく私を定義することが果たしてできるのだろうか?」と。
この実験だけでなく、たくさんの実験があるので他の動画もぜひみてみてください。
これではない、これではない
自分は何者でもなく、ただ一つの意識なんだと知ったらさらにこの作業をしてみることをオススメします。
これまた私がなんども紹介している本「"それ"は在る」に載っていましたし、もとはラマナ•マハルシさんというインドの覚者が言っていたものを参考にした練習です。
私は体でしょうか?いいえ、私は体ではありません。
私は言葉でしょうか?いいえ、私は言葉ではありません。
私は感情でしょうか?いいえ、私は感情ではありません。
私は名前のあるものなのでしょうか?いいえ、私は名前などない、ただ在るものです。
本当の私というのはキャラクターの認識では定義できないものです。
それだけ大きく全てを包括しており、そして全て在る。そしてそれ自身が私である。
この感覚を感じる、思い出す、気づくその瞬間が思考との分離をしている瞬間です。
恐れなど何もない。全てが可能性に満ちている感覚。
この感覚に触れると、今までのあなたとどこかが変わってきだします。
ものの見方が変わってきますし、選択も変わってくるでしょう。
意図も変わってくると思います。
この二つの練習は時間がある時にぜひやってみてくださいね^^
不思議な感覚になるので楽しく?なりますよ!
コメント
mihoさんこんばんは。
あっそうそう!と思いました。
キャラクターである自分を楽しんでいる時はよいのですが 私たちは知らず知らずのうちに 呪文のように入ってくる情報や常識を「普通」だと思い込み、そのキャラクターを演じていることがありますね。
私も、「仕事の出来る自分であるべき」「こんなお母さんであるべき」など、べきべきと当然のようにやって、やれていたつもりが ある朝起きる気すらしない…などと突然立ち止まるわけです。
極端すぎて自分でもおかしいのですが、そんなときは 立ち止まって これはどういうことかな?と静かに私の内側に入り、洞窟の真ん中にいて懐中電灯の光を隅々まで照らしている私(笑)というイメージがいつも浮かぶんです。
感情的にならない、考えない、何も判断しない、ただ目を見開いてじーっと洞窟を見るのがコツで。
そうすると あらっ!と気づくのです。
私を縛っていた思考に!!
だいたいつまらないこと(笑)
面白いのは、感覚でバチっと理解出来たらその瞬間から別の世界にいけるんですよね!
縛っていたのは私かと気付けばそれをやめるのも私なんだ!と。
もはや白っぽい抜け殻となった自分を手放したら一瞬で心が軽くみずみずしい私になり、新しい1日が楽しみに。
不思議ですね。
そしてまたいつの間にかズレるんですよね。
昔に比べたらかなりなくなりましたが… 妖怪かなんかの仕業?
それらのことを なんなんだろね?て思っていたのですが mihoさんのブログを読んでいると なるほどね、と今頃仕組みを理解するわけです。
それが面白いんですね。
えりつぃんさんこんばんは^^
キャラクターの世界に入り込んでしまうと観念などの思考が私だと錯覚してしまいます。
えりつぃんさんは独自のやり方をやっておられるようでどおりで思考との分離が上手なんですね!
この世界は自作自演の世界なので何をするにも私次第。そう感覚でも理解できるとこの世界は本当に面白くなりますよね笑
私もまだまだ妖怪(笑)と戯れることもありますが、また気づきがあればシェアしていきますね!
いつもありがとうございます^^