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事実に基づく思考、あなたはどっち?

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起こった事実に対して私たちは一つ一つ意味づけをしていくのが得意です。

(本当は私たちではなく、私たちにピトッとくっついている思考です)

 

 

事実に対して思考がどう捉えるかで見える世界がか変わってきます。

 

 

車を運転中、急に車が割り込んできたときなどはどうでしょうか。

「危ない運転するな!!」

「事故でも起こしたらどうしてくれるんだ」

「こいつ俺のことなめてるな」

「俺も追い抜かないと気が済まない」

 

 

などでしょうか?

それとも

 

 

「何か急がなければならない理由があるのだな」

「事故にならなくてよかった」

「あの人が無事に間に合いますように」

「自分もああいう運転してるかもしれないから気をつけよう」

 

などでしょうか?

 

 

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事実はただの事実。この先が分かれ道

これらの思考はどこに向かってるかで感情の向かうところも変わってきます。

前者はずっとモヤモヤ・イライラが付きまとってしまいます。

後者はどうでしょうか?

一瞬その事実に驚きはするかもしれませんが思考に対する感情も一瞬で終わります。

 

 

事実に思考や感情は後からついてきますが、どちらを採用するかでその後の私たちのあり方も変わってくるだろうと思います。

前者の思考のままでは何か自分の予期できないことが起こった場合、ストレスを強く感じます。

予期できないことは毎日のように起こってます。

誰も完璧に1分先のことは予期できません。

つまり、極端に言えば常にイライラしてる状態が続いているということです。

 

 

ただの事実にイライラに繋がる思考を習慣にしているので気づかない限りずっとイライラする出来事が起こります。

 

 

そしてのその思考というのは日々の習慣・過去から蓄積されていきます。

蓄積された思考というのは自分と分離させるのは難しくもなります。

今までの思考に気づくことが大事です。

事実をどう見てるか、思考を観ることを心がけてください。

 

 

思考は私たちではないですが、思考を完全に切り離すこともできません。

思考を利用することが大事です。

 

 

そして事実は事実。

それ以上でもそれ以下でもない。

そして今にしか私たちは存在できません。

事実に対して未来に悩むことも必要ありません。

なぜならそのとき事実が起こった瞬間に、また新しい事実が起こっているからです。

 

 

その事実はすでに用意されているもの(本当の私がすでに準備していたもの)なので

それに対して何か思考する必要もありません。

すでに用意されたものは本当の私が楽しく生きるために創り出したストーリーの一部なのでその事実をただ淡々と眺めてればいいのです。

 

 

今日は少しややこしくなってしまったかもしれません笑

事実に対する認識と、時間という概念がない「今」という場所から物事を見た場合のことをお話ししました。

コメント

  1. ピノ より:

    mihoさん
    本年も、たくさんのmihoさん発信のブログを読めることを楽しみにしています。
    いつも、わかりやすくいろいろな角度から書いていただき、感謝しています!

    まだ…ご質問は受け付けていらっしゃいますか?
    思考を客観視する。という感覚、時に見失ったり、感情と思考に一気に翻弄される自分も登場しますが、少しずつつかめてきた感覚があります。
    ただ、やはり「思考の癖」があって、こちらの記事に書かれているように(もしかしたら、前の記事なのでmihoさんご自身の考え方が変化しているかもしれないのですが)
    自分の好ましくない思考に囚われることがよくあります。
    事実をキャッチして、そこに意味づけする思考ですが、これを自分の好みに変更することは可能なのでしょうか?二元の世界として、善も悪もないとするなら
    事実が起こっている。それに対する思考も、ただそのままにするのか。
    それとも、その思考に気付き、自分の良いと思う思考(このブログ内の記事であれば、イライラしない思考)に書き換えるような工夫が必要なのでしょうか?
    設定変更。という言葉もあるようですが、二元論などのことも考えると、いつもこの部分の理解で躓く自分がいます。

    • mihomiho より:

      ピノさんこんばんは!
      返信が遅くなってしまいすみません^^;
      久しぶりに体調を崩しておりました笑

      もちろん設定変更は可能です。
      そのために自分の中にある思考に気づくのが大切になります。
      少しずつ掴めているのでその調子でどんな自分になりたいか、何をやりたいかなどキャラクターにさせたいことを意図してください^^

      このブログでは非二元論と引き寄せの法則を主に取り扱っているのでよく分からなくなるかもしれませんね^^;

      究極は非二元です。善悪も存在せずいい悪いも存在せずただ起こっている。
      そして意識という本当の私しかいない。

      ここに突き抜けることは可能です。

      しかしどんな聖者でもキャラクターをどう生かすかを選んでいると思っています。
      本当の私を突き抜けるということは何もしないということになります。
      「私」のみが存在するということは誰かに何かをしたいということをする必要がないからです。
      沈黙だけがある状態。
      しかしキリストもブッダも現代の聖者もそれを知りながら伝えているということは幻想である世界だと認識しながらも何かしらし続けてきました。

      この世界を受け入れることもただあるがままにあるということです。

      そしてこれは私の中で作った世界の過去であり、さらにピノさんが作り出した世界です!

      引き寄せの法則ですが、そんな言葉のため魔法みたいに思ってしまいますが、ただのゲームです^^
      完璧な私が分離を楽しむために作った場所なので不足を感じてしまいやすいです。
      しかし完璧な私が設定した不完全な世界なので完璧な私に意識が戻れば完璧だったことを思い出します。

      物質として見ること世界では完璧な私は物質もちゃんと手に入れることができます。
      そのためにはこの世界で装備されている思考に気づき、そして思考を利用することです。

      意識の存在に気づき、でもキャラクターの私も認識しているこの状態が分からなくなるのかもしれませんが、体を認識しているうちはピノさんというキャラクターが幸せで楽しいフィールドを作っていくこと、それが本当の私と繋がる状態なのだと思います^^

      話が長くなりすぎました笑
      今日はかなりレベルの高い話になりましたね!!
      また何か気づきがあれば教えてくださいっ^^/

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