私たちには感情がくっついていますから何かの事実に対して必ずといっていいほど「判断」をしてしまいます。
判断するということは、その事実に対してどう思ったか。
そして時にはその事実は善か悪か、好きか嫌いか、白か黒か判断します。
事実が起こってからこの判断までのほんの一瞬で、しかもほぼ自動で行われます。
善悪は思考によって判断されます。
思考とは本当の私のものではありません。
そして思考は過去にしか存在できないものです。
(過去を引っ張り出してそこから思考し、判断しています)
今ここで起こっている事実に対して過去でしか存在できない思考によって物事を判断して善悪、好き嫌いを決めているということです。
別に悪いことではありません。
それもキャラクターである私が選んだことだからです。
ただ、上記の「今ここで起こっている事実に対して過去でしか存在できない思考によって物事を判断している」ということが判断する一瞬手前で思い出すことがあるなら、そもそも判断することもなくなります。
事実は事実です。
それ以上のことは何もないのです。
しかし何もないところに善と悪の二極を作り上げることにより、快・不快もまた生まれます。
本当の私たちは一つの意識です。これはこのブログで何度もお伝えしてますしこれしか本当は伝えることがないというのが正直なところです。意識である私たちは完全であり、一つであり、一つしかないということは全でもあります。本当は楽しむためにある世界そん
善悪は思考が創り出した幻想
そして善と悪は一個人の中でのルールなのです。
あなたが正しいと思っているその判断は、他の人にとっては間違いと判断しているものかもしれません。
逆もまた然りです。
そんな不安定で移り変わるものに、私たちは判断を委ねる必要はあるのでしょうか?
勝手に事実からいらない物語を作る必要はないのです。
そのストーリーに翻弄される必要はありません。
その事実は事実とただ淡々と認めること。
思考に飲み込まれない秘訣かなと思います。
後から付け足した物語は思考でできているものなので必要のないストーリーですが、もちろん今まで通り思考で判断して物語を脚色してもいいです。
この世界は遊ぶためにあるから遠回りするのが味のある人生だと思うのもいいでしょう。
本当の物語はあなたの決意があれば思考ではない本当のあなたの新しいストーリ展開が広がります。
それは今見える事実に対してなんの意味もない、それどころか悪く捉えてしまいそうになることもあるでしょう。
でも思考で作られた判断はいらないのです。
ここからもっと大事なことを教えます!
ここまでで事実に対して善悪をつける必要はないとお伝えしましたが、もっと大事なことをお伝えしますね。
それは、「善悪をつけてしまう自分でも構わない」と常に自分の味方でいてあげることです。
思考で判断することはきっと私たちはこれからも続けていくでしょう。
思考で判断する必要はないといっても全くしなくなるという人間は絶対にいません。
それは知っててくださいね。
私たちは今のままでいいんです。
思考で判断して何かに不快な思いをしてしまう、そんな自分でさえ「構わないよ」と応援してあげてくださいね。
コメント