願望と欲望、どちらも同じ望みのはずなのに感覚として願望はいいエネルギー、欲望は悪いエネルギーのように感じてしまうのはなぜでしょうか?(わかりやすく説明するために使った言葉ですがエネルギーにいい悪いはないので注意してくださいね)
読んで字のごとく、願望は願い、欲望は欲すると書きますね。
ここで筆問ですが、あなたが今叶えたい望みは願望ですか?それとも欲望ですか?
次の例を見て自分の望みがどっちなのか考えてみてください^^
A.一人は寂しいから彼氏(彼女)が欲しい
B.楽しく過ごせると思うから彼氏(彼女)が欲しい
A.楽に暮らすにはお金が必要だから欲しい
B.このくらいのお金があればもっと豊かになれるから欲しい
Aが欲望、Bが願望です。
自分の望みと似たパターンはありましたか?
どっちも望みには変わりありません。
ですが欲望はさらなる欲を求め、願望は叶います。
願望と欲望の違い
ではここから細かく話していきますが願望と欲望、この二つの違いはあなたの立ち位置がすでに違うのです。
願望とは
願望の立ち位置とはすでに今の自分に満足している状態でさらに楽しみをそこから見いだせることをわかっている感覚というのがあります。
別な言い方でいうと「意図」と同じです。
そして面白いことに、そもそも今の自分の満足しているからその願望が叶おうが叶わまいが本当はどっちでもいいという、エゴからしたら全く意味のわからないことになっています。
そうなればこれまた面白いのですが意図した世界が自分の目の前に反映されるんです。
自分に対する疑いがないから意図から現実までが思考に邪魔されず反映されやすいのです。
欲望とは
対して欲望というのは欲する、つまり今ここにはないと信じて疑わず、それを手に入れなければ自分は完璧ではない、自分が愛せる自分にはなれないという認識のもとに出てくるものです。
同じ望みなのに望みの出所が全く違うんです^^;
あなたの望みは願望でしたか?欲望でしたか?
あなたの望みはどこから出てきたものですか?
充足ですか?不足ですか?
楽しみたいからですか?不安を無くしたいからですか?
好きだからですか?嫌なことを避けたいからですか?
同じパートナーを得たい、お金が欲しいなどという願いでも自分の立ち位置によって全く違う結果をもたらします。
望みとはこの世界を楽しむためにあなたが作り出したゲームのオプションのようなものなんですよね。
本当は全て持っています。
でも無いように見せかけてどこからか願いを実現させるゲームを私たちは楽しんでいるのです。
無いを楽しむのもいいですが、そのゲームに付き合うのも疲れてきますよね。
立ち位置を帰ると無いゲームから抜け出し、幸せを発見することができます^^
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