今日は私が思考に飲まれそうになっているときにやっていることを話してみようと思います。
(興味がない方、ごめんなさい笑)
私は実家暮らしで庭があるのですが、朝、あったかい飲み物持って庭でぼーっとするのが好きなんです。
父が野菜も育ててて緑豊かです!
で、気づいたのが、緑の中にいる時って余計な思考がほぼ無くなります。
なくなるという表現は本当は違いまして、気にならなくなるという言葉の方が正しいですね。
特に朝日と緑(自然)と小鳥のさえずりのセットは心に平穏や安らぎを深くまで注いでくれます!!
自然とは、私たちが「創り出した中で最高の出来」だと思います。
私たちは意識の存在にきづき、学んだからと言って悩みが完全になくなる、という意味ではありません。
そんな時、余計な思考をどう処理するかというのは大事なことです。
余計な思考は余計な思考
引き寄せの法則でよく言われている、引き寄せを阻んでいる思考に気づいて受け入れる、ということはとても大事なことです。
しかし、その他にも実は大事なことがあるのでないかと思うのです。
私の場合はこの時間は余計な思考が働かなくなるので、それに気づいてからはよく庭で朝日を浴びてます。
この時私の中で、余計な思考を受け入れる、ということは行なっておりません。
この時に起こっていることは、「余計な思考とはただの余計な思考なのだ」と気づくことです。
思考の出どころを突き止めることが大事な時もありますが、この場合は突き止める必要すらありません。
そもそもその思考というのは持つ必要がないのだ、ときっぱり切り離す作業をしています。
何か悩みがある時に自然に触れることをオススメする人が大勢いるのはこういう作用が内在的に分かっているからなのかなと思いました。
人によっては自然な場所ではなくて、散歩をしている時だったり、瞑想をしている時だったり様々かと思いますが、どちらにしろそれに気づいたら余計な思考に振り回されることもだんだん少なくなっていきます。
もしかしたら好きな映画や音楽を聴いている時もいいかもしれませんが、自然に触れていると、全体と一体感・私は全てと一つなのだとふと感じる時があるので、あまり自然に触れる機会が少ない方は一度公園でもいいので行ってみてはいかがでしょうか?
人工物(この場合はビルや駅など建物がたくさんある場所)から離れてただの人間として自然にポツンといてみてください。
何かいつもと変な感じがしてくると思います。
自然と私という分離がなくなる感じ。
今まで私(キャラクター)の中にあったいろんな観念・思考というものを分離する瞬間が訪れるのを皆さんにも感じてもらいたいです^^
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