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何かを手に入れてやってくる「幸福感」について

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幸福感エゴとの付き合い方
幸福感
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私たち人間は観念を持ちながら生きています。

それは悪い事ではありません。

場合によってはそれは幸福感を味わうこともできるからです。

 

 

頑張ってきてやっと欲しいものが手にはいった時などはその幸福感というのはとても大きいかと思います。

その時の思考の流れとしては、

それを持っていない自分(不足)→持つことで幸せになる→手に入る→幸福感を味わう

ということが起こっていますよね。

 

 

しかし本当はちょっと違います。

もうここまで私のブログを見てくださっている皆様は気づいていらっしゃるかもしれませんが笑

 

 

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何かを手に入れてやってくる「幸福感」の本当の正体

本当はすでに幸福であります。

しかし今までの私たちの生き方から、私たちは常に不足の中にいて、一生懸命頑張った先に私たちの望む世界が待っているのだ。

という観念を大事に持って、それをずっと繰り返しています。

 

 

不足→頑張って手に入れる→幸福感→これよりもっといいものを手に入れたい(不足)→頑張って手に入れる→幸福感

この観念を繰り返しおこなっています。

ですのでこのサイクルの途中で諦める人っていうのも出てきます。

なんてったって人生一生懸命頑張んないと欲しいものは手に入らないし、一生懸命頑張れてないと自分で決めていればそれは手に入らなくても仕方がないことですから。

このミルフィーユ状態を抜け出すためには、そもそも私たちは幸福の中に存在していると気づくことです。

幸福というのは何かを手に入れて生まれるものではなく、幸福だったのだと思い出す出来事を体験したというだけなのではないでしょうか。

そしてこのサイクルの始まりは不足の自分ではなく幸福な自分だと気づけば止められます。

 

 

「〇〇だったら幸せ」という観念

パートナーがいたら幸せ

家族がいたら幸せ

子供がいたら幸せ

友達が多くいることは幸せ

仕事のポジションがよければ幸せ

趣味が多くあることは幸せ

これらを持っていない私は不幸・かわいそう・惨め・楽しくない

これらを持っていない人は不幸・かわいそう・惨め・楽しくない人だ

 

 

上記このことを考えたりしますか?

「〇〇だったら幸せ」という状態によって発生する幸せとは本当は単に観念が作り出したものにすぎません。

その観念に基づいて幸せ・不幸せのジャッジをもししているのならばそれは自分で創り出す世界を生きづらくしているかもしれません。

 

 

しかし、これらが「単なる観念」なのだと気づいた時、あなたはそのジャッジから解放されます。

これらの観念が悪いのではありません。

これらの観念があることを知らず観念に流されていたことに気づくだけで、あなたの行動は少しずつ変わっていくと思います。

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