信じる以上に願いを叶える力が強い表現の言葉をご存知でしょうか?
それは誰でも知っている言葉です。
そうです。
「知っている」という言葉です。
笑
「信じる」と「知っている」は全然違う
「そうなると信じる」と「そうなると知っている」は似ているようで全然違います。
信じるという感覚はそうなってほしい、でもそうならないかもしれない。という曖昧な感覚です。
つまり信じている願いは叶うかもしれないけど叶わないかもしれないということになります。
叶うか叶わないか50:50(希望としては60:40^^)
あっ!そうですね例えば、彼女が浮気性の彼氏に向かって「あなたを信じてるわ」と言っているのとおんなじですね!!
信じたいけど疑ってもいるというのが本当の設定です笑
あなたを信じているわと言っている人ほど最後に辛い思いをしているのではないでしょうか?
まぁそれも実はその人が創り出している世界なので自作自演なんですが。
ちなみに信じるという言葉はスピリチュアルな人でもたまに使っている人もいますが、「きっと叶うと信じる、これが大事です」みたいなこと言っているのを見ると、「「きっと」を使ってる時点で叶わないかもと思ってるじゃん」と一人でパソコンに向かって突っ込んでしまいます。
でも無意識に「信じる」感覚がある、とそれに気づけば今自分が願っている状態は心から叶うとはまだ思えてない、どこか疑っている部分があるんだなと知る指標にもなりますので決して悪いことはありません。
では知っているとはどういうことかというと、言葉通りです。
願いは叶うと知っているということは確実に現実に反映されることが分かっているということです。100%叶うということ。
願いを叶えるとは・・・
あなたが会社員だとしたら明日も仕事に行きますよね?それは曖昧なものではなく確実に行くとあなたは知っています。(急に辞めることがない限り)
未来のことなのでまだ誰にも分からないのにあなたは会社に行くと断言できます。
あとは、そうですねー、お腹が空いてご飯食べたいなと思ってそれを叶えるのと一緒です。
ご飯を食べるのがちょっと仕事を終わらせてから食べるのか、それともご飯を先に食べるのかどっちかその時にならないとわからないけど、どのみち確実にご飯を食べるのと同じです。
ご飯を食べたいと思って食べるというのと、特定の願いを叶えるということは実はイコールです。
でもなぜそう思えないか。「これは叶えるのが簡単」「これは叶えるのが難しい」と判断しているからそうなるのです。
もちろん判断しているのは私ではない思考がしています。
それを私の判断だと思っているので気づきにくいのです。
本当は願いに大きいも小さいもありません。
願いを叶えるということは物質としてこの世界にそれが反映されるというのが分かっている状態にすること。それは「知っている」ということです。
信じるくらいなら知っているにまで持っていってください。
願いを「信じる」という曖昧なものにしているから曖昧な現実を創っているだけです。
あなたはすでに全てのものを持っています。
その中でキャラクターがほしいと思ったものを物質化するだけでいいのです。
と、簡単に言ってみましたが最初は??ですよね。
でもこのブログをずっとみてくださっていれば私が言いたいことがなんとなくでも伝わっている人もいるのではないでしょうか^^
まずは口に出す言葉だけでも「信じる」から「知っている」に変えてみてはいかがでしょうか。
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