タイトルの通り、一つ気になることがありました。
人間の考え得る範囲以上のことがわかった(わかりやすく悟った人のことを言います)人は、欲もないので山にこもって薪でも割って一人で生活している仙人になってしまうのか?
もしそうなら私は悟りたくない。
仙人にはなりたくないけど欲しいものは欲しい。そんなことできないのか・・・
そう思っていました。
だからだと思うんですが、なかなか引き寄せたいものを引き寄せられず、何かに不満があるたび私には無理だと嘆いていました。
「悟り」とは一体何なのか・・・
でも意識の世界がわかってキャラクターの世界のカラクリがわかってから純粋にこの世界を楽しむことがいわゆる「悟り」なのではないかと思ってきております。
安心して望む世界をこのキャラクターである私に見せてあげる。
たまには何かアクシデントがあって驚くこと、不安に思うこと、怒ることもあると思います。
私たちはキャラクターなのでそういうこともあります。
悟った人だからタバコは吸わないはず、というのも実は観念です。
「かの偉大なる聖者であるニサルガダッタ・マハラジは、悟った後でさえ、タバコを吸い続けていたという。
誰かは、悟った者はタバコなど吸わない、などと考えるかもしれないが、そのような固定概念にはまったく意味がない。
彼が吸っていたわけではない。
彼の体において、それが自動的に起きていたのである。
それは彼の手にはない。
なぜなら、彼は思考でも身体でもないからだ。
彼が吸っていたわけではないのだ。」
ーヘルメス・J・シャンブ“それは在る”から抜粋
このことからも何が正しくて何が悪いというのはこのキャラクターの住む世界での概念に過ぎません。
そしてこのキャラクターである私たちは本物ではない本当の私の中の主役(私は身体ではないというのはそういうこと)でしかないということです。
だったらそのキャラクターである私がどんなことをしたら楽しいかということをプログラミング・本でいえばストーリーを作ればいいだけです。
私がここに至ったまでの引き寄せの法則に関連する本 - 誰でも絶対幸せになる引き寄せの方法
この本がきっかけで私の意識が変わりました。
ただ、この本にこのタイミングで出会ったから意識が変わったんだと思ってます。
正しいと思っているものでさえ観念にすぎない
山にこもらなくても楽しく生きていい。
それが望む世界ならそれが正解。
どうやらそれだけのことみたいです。
たまには泣いてもいいし怒ってもいい。
泣いてはいけない・怒ってはいけないというのも一つの観念でしかないのです。
ただそれがずっと続くのはキャラクター的にも辛いと思います。
まぁ、そんな時は本当の自分が設定した私とは誰だったか「思い出せばいいだけです」。
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