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好き、嫌いをジャッジするあなたがいるからこの世界は波乱万丈になる

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ジャッジメントエゴとの付き合い方
ジャッジメント
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この世界を私たちは意図して楽しむことがだんだんできるようになってきています。

それは私たち肉体を持っているキャラクターと本当の私というのがあると気づきだしているからです。

 

 

これは分離ではなく本当の私の中にキャラクターである私もあるということです。

そのキャラクターには思考がくっついているので一人一人が独立して存在し、私と他人という分離が起こっているように見えます。

しかしその他人として見える人すら本当の私なのです。

 

 

思考は分離を好みます。というか分離を見せることで私の中に存在できるからです。

この思考による分離を正しい世界だと思ってみていると、次に起こるのが「ジャッジ・判断すること」です。

 

 

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ジャッジすることでこの世界を楽しくしたらり波乱万丈にもする

判断することというのは、人間社会を生きる上で大切な役割をしてくれています。

AとBどちらを選ぶか迷った時に思考が巡らされ論理的あるいは自分の好みによって選びます。

これは別に悪いことではありません。

 

 

しかしこの判断することというのは無意識でも行われてしまいます。

例えばAさんとBさんがいて、Aさんは自分に優しいから好き、Bさんはいつも私のこと注意してくるから嫌い。

これも好きと嫌いを分けて考えていることによってその人と接するときの感情も自動的に起こってきます。

 

 

しかしこの好き嫌い、誰が決めているかというと自分ですよね。

なぜ判断しているかというと自分の過去の情報によって自分の不都合なことをする人がいればその人は「嫌い」に属する人、反対に優しくしてくれた人は「好き」に属する人と過去の情報=思考で決めているわけです。

そうやって私たちは人や出来事にいい悪いを決めて自分たちの人生を難しく、波乱万丈にして生きることを楽しんでいるのです。

 

 

そんなことをしている私たちですが、この判断しているのは私たち自身だと気づきました。

自分たちが判断しているということは自分たちでこの判断をやめてフラットに生きることもできるということです。

 

 

フラットにする簡単な方法を説明いたします。

 

 

判断を止める方法

方法は簡単ですがもしかしたら最初は気づきにくいかもしれないのでちょっとずつやっていくことになるかもしれません。

 

 

その物事に対して何か思考や感情が湧き上がってきたことにまず気づく。

そしてその思考や感情は他人や出来事が発しているのではなく、紛れもなく自分の中から発生したものだと認める。

 

 

Aさんはいい人、Bさんは悪い人、と思っているのは自分の思考というフィルターを通してみているにすぎません。

ただ単にAさんをみて自分が判断している、ただBさんをみて自分が判断している、人であろうが出来事であろうがただ起こっていることに自分が意味づけをしているにすぎません。

 

 

本当は何も起こっていないのですが、そこに人生を面白くするためにジャッジを行います。

いい気分にするのも気分を悪くするのも全て自分の判断です。

そこに気づくと目の前に起こることに流されることも減ってくると思います。

 

 

平安や平和は別の場所にあるのではありません。

本当はここにあります。

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