瞑想したいのにマインドがうるさい、静かにいたいのにマインドがうるさいなどとマインドをどうにか止めたいと思ったことありませんか?
私も瞑想や坐禅をしていた時は思考が出てきて結局集中できずにいたという事がよくありました。
結論から言うと思考やマインドを止めることはできません。
ではどうすればいいのでしょうか?
あなたの中に存在する思考やマインド
あなたの中にはどんな思考やマインドが存在しますか?
それはあなたを否定するものがほとんどなのではないですか?
なぜなら思考やマインドを止めたい!と思うほど苦しんでいるなら、それはいい思考やマインドではないということですよね。
あなたが何かをしようとすればそれを阻止しようとしてくる思考やマインド。
それはあなたが無意識だろうが意識的だろうがあなたの意図を無視して行動し続けたことで得た思考が蓄積し、いつの間にかあなたと一体化してきたものです。
それを繰り返していくと強固なマインドができてきます。
私たちはキャラクターを確立するためにこれを繰り返してきました。
というかマインドができるたびにキャラクターが確立してきたというのが正しいでしょう。
それによってふと湧き上がった「不自然さ」「本当の自分ではない何か」に気づきだしたため、思考を止めたい!マインドを止めたい!と思うようになったのでしょう。
「思考やマインドを止めたい!」と思っているのは誰か
しかし、その思考を止めたい!マインドを止めたい!言っているのは誰でしょうか?
本当にあなたですか?
実はそれも思考がやっていることです。
本当のあなたは苦しむことはしません。
思考を止めたい!マインドを止めたい!と苦しんでいるのもまた思考がやっていることなのです。
わけわからなくなりそうですね。
私たちは何かを解決しようと必死になります。
でも解決しようとすることこそが苦しくなる原因になっているのです。
思考は雲のようにただ流れているものです。
それはふっと湧き上がっていつの間にか消えて無くなるもの。
それに執着をする事が思考により思考を生む行動なのです。
止めようとするのを止める。
出てきた思考に注意を向けず思考が出てきたとただ気づく。
もし思考に執着してる自分に気づいたなら、「この思考と私は関係はない」と断言する。
あなたはただ在るもの
あなたは思考でもマインドでもありません。
思考に気づくもの、マインドに気づくものです。
キャラクターである私たちはこの思考やマインドと共にいたので気づきにくいかもしれませんが本当のあなたの意識になった時、思考やマインドをどうしたいこうしたい!ということすら無くなることでしょう。
思考やマインドがあっても構わないそれはただ雲のように流れるものだから、と見ておけばいいのです。
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