私はよく「気づいてください」とブログの中で言っているのですが、気づくというのは思考や感情と分離してくださいということです。
思考と感情は私ではありません。
何もせず毎日を生きていると常に無意識にあらゆる情報が飛び込んできます。
それは本来私には必要のない情報なのに、私は無意識にそれを取り入れています。
そして思考し、過去にインプットしたデータをもとにあれこれ物事の事柄を組み立てていき感情とセットにして判断をくだします。
その判断は本当に必要なのでしょうか?
会社がつまらないのはあなたがいろんな物事を組み立てていき感情とセットに何でもない風景に色をつけているだけではないでしょうか?
会社に残れと言っているわけではないですよ笑
思考と感情で世界を見てしまうと本当に見るべきものを見過ごしてしまいます。
会社に対して(というか人間関係が主なことが多いですが)あなたの培った思考が不満を通してしか見ないとそのように世界は見えてしまいます。
何にしても価値判断をくだしていると世界は限定的なものになってしまいます。
常に幸せにあれば何もすることはないですが、何かに不満を持っている状態はその思考に気づかない限り延々と違う形であなたの前にやってきます。
思考に気づくということは判断しないということ。
フラットに世界を見ることができます。
分離した状態になると本当にしたい判断ができるようになります。
この時の判断というのは意図のことです。
純粋な意図というのは「本当の私」視点で望むものです。
本当の私が望むものとは「好き・楽しい・幸せ・満足・安心」と思うものです。
好きだからこの仕事がしたい
好きだからこの人と一緒にいたい
好きだからこれがしたい
好きだから・楽しいから・幸せだから・満足だから・安心だから
それらに不足や条件は絶対にセットになりません。
ちなみに・・・
〇〇だから好き
〇〇だから楽しい
〇〇だから幸せ
〇〇だから満足
〇〇だから安心
こっちは何かに依存したり不足を生み出します。
条件づけの好き・楽しみ・幸せ・満足・安心は違います。
でもそれも思考を追っかけると見えてくると思います。
思考に気づく練習をメソッドと捉えられたくないのですが、思考とは私と一体化しやすいものなのでメソッドとしてしたほうが分かりやすかったり入りやすいのでしたらそれでもいいのでやってみてください。
不満のまま過ごす日常を変える必要がないと思うのなら別に構いません。
でもあなたが本当に望むものを世界に反映させたいのなら、小さなことのように感じるかもしれませんが、都度、思考に気づくように試みてくださいね。
フラットになる状態が増えてくると見えてる世界が少しづつ変わってくるのを認識できるようになります。
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