先日、政治活動されている方のお話会に参加させていただきました。
以前お金についてのお話会に参加せていただいたので、今回もお金の仕組みのお話か
もしくは主催の方が反ワクチンの方なのでそのようなお話かと思いましたら
意外とこっち系(笑)のお話でした。
ただそのつもりでお話会に参加された方というのは多分いなかったように思うので
「ワクチンを信じてる人に目覚めてほしいけどどうすれば良い?」というような質問が多く
その度にその方は「それはその人たちの決断に任せるしかない、その人を変えようと思うあなたの方がおかしい」
というような返答だったのですが、まさにその通りです。
この答えの理由をお伝えします。
反ワクチンなのはいいこと?ワクチン打った人を助けたい
今回はワクチンの話だったのでそれにフォーカスして話を進めていきますね。
でもこれは何にでもいえることです。
反ワクチンの方の考え
ワクチンは悪いものだ
これをその人が決定づけるものは今までの体験や情報からです。
さてその体験や情報というのはどこからやってきたのでしょうか?
あなたから生まれたものですか?違いますよね。
外の情報から得た観念です。
ワクチンは悪いものだと決定づけた瞬間からその人の世界では悪いものとなるのです。
そしてそれに反する人は正しくないとなるのです。
人によっては情弱なワクチン推奨者をなんとか正してあげたいと頑張るのです。
外からの概念は全て幻想です。
何が正しくて何が悪いというのは共通するものではないのです。
その人の世界で作り出されるだけです。
ワクチンはいいものだという方の考え
逆もそうです。
ワクチンを打たない人を非難する人がいるとするなら、その人が外からの体験や情報で作られたものが正しいと信じそれを作り出しています。
なのでワクチンを打たないと言っている人をなんとか正してあげたいと頑張るのです。
気づきましたか?
ワクチン推奨者だろうが反ワクチン者だろうが自分が外から得た体験や情報で作られたものを正しいと信じ、
それに従い、反対のものを操作しようとすることは全く意味がないのです。
両者、自分が正しいと思っていることを全ての人類に同じことを求めることは不可能です。
それがたとえ身近の家族や友人だとしても。
そもそもの原因はいい悪いをジャッジしているから
これはそもそも〇〇は良くて△△は悪いとジャッジする思考から生まれています。
以前同じような内容の話を書きました。
この世界で行われる判断というのはあなたが判断した瞬間から二極の世界が生まれるのです。
その世界では何がいいもので何が悪いものかというのはあなたの世界でしか生まれません。
ワクチンに焦点を当てるとここには「ワクチンがある」しかないのです。
そこにそれぞれが判断して、いいもの・悪いものというジャッジがされた瞬間新しい物語、場合によっては争いが生まれるのです。
じゃそれのせいで死んでもいいの!?
多分このような論争が広がるのはそれで生死に関わると思っているからだと思います。
ワクチン推奨者は「ワクチンを打たないと流行病で死んでしまう!」と言い
反ワクチン者は「ワクチンを打ったら死んでしまう!」と言います。
・・・どちらも死んでしまいます・・・
ここで気づいてほしいのは『あなたが「そうなればそうなる」と確信しているものが現実として現れる』ということです。
あなたの生死は外の世界に委ねて起こるものだと確信していればそうなります。
思い込みでこの世界は作られるのですから。
私は流行病が流行った時もそれは私に何も影響を与えないと知っていたので恐れることはありませんでした。
ですのでマスクは基本的に一応気にされる方がいれば配慮をし、気にしない方がいればしないというようにしてました。
(流行病の時はマスクする派と反マスク派と同じような戦いがありましたね笑)
たとえ流行病で亡くなったとしてもそれはそれである。
ただそうなるだけだからということなのです。
なんのせいでも死ぬ時は死ぬんです。
ただそれだけなのです。
原因と結果を結びつけようとするのが人間臭いところ
原因があるように世界が動いているから原因と結果という結びつきが生まれるのです。
本当はそのようなものはありません。
原因も結果も私たちが判断しているだけです。
原因と結果を結びつけるのは人間やっていると仕方がないことです。
ただ、「この判断は必要?」というものもたくさんあります。
それを観ることが大事かなと思います。
ワクチンも打ちたい人は打てばいいし打ちたくない人は打たなくていいのです。
それだけです。
誰かに強要する必要はありません。
コメント