物体として存在している私は本当の私ではありません。
しかし物体として私が存在しているというのも事実です。
そしてこの世界に登場する人も動物もモノも全て本当の私が創り出したもの。
私なのです。
「私」の視点はどこにありますか?
この世界での主役を演じている私がいますよね。
この世界をどんな世界にしたいかを意識の私が決めてそれを実行しているのがキャラクターである私です。
キャラクター目線で人生を進んでいくと楽あり苦もあり、世界は厳しい部分もあると見えるでしょう。
それは自分はこの世界を変えることができない、この世界の住人の一人。ちっぽけな存在として認識しているからです。
視点をあげて本当の私としてこの世界をみると見方が変わってきます。
私のいるところ(キャラクターのいる世界のことではないです)は全てが完璧で愛と平和と豊かさが揃っている世界です。
そんな私が「楽しむために作った世界」がキャラクターのいる世界。
クリエイター側が本当の私です。
何かバグったかな?と思うことが起こればそれを修正することが可能なのです。
この苦労、もう必要なくない?と思えばすぐにやめて楽しいことをしてもいいのです。
この世界に降りたった可愛いもう一人の分身(我が子のような存在として捉えたらわかりやすい人もいると思います)として世界に置いているので、この子にこんな体験をさせてあげたいと思えることをさせてあげてください。
キャラクターが現実をみて「こうしたい!」と思ったとしてもクリエイターが創り出したものを変更することをキャラクターができるわけではないのです。
変更できるのはその物語を設定した本当の私なのです。
この世界はゲーム
本当の私の視点になってどんなことをしたいか、純粋な意図・願いを持ってみてください。
それはプログラミングされ、現実世界に反映されます。
この世界には時間という概念がつきまとっていますので、時間を通して必ず目に見える形で現実化されます。
愛しい我が子、あるいは可愛いもう一人の自分にどんな体験をさせたいですか?
涙が出るくらい辛い体験をしてるとしていつまでもそのままにしておきたいですか?
それとも、もっとこんな楽しいことがあるんだよ。こっちの体験を一緒にしてみようよ!と手をさし伸べますか?
我慢が美徳とか努力をしない人間はダメなやつだとかいう考えがあるかもしれません。
努力の先に幸せが待っていると。
そう思っている人にはその人生が待っています。
いや、人生は楽しむこと、笑うこと、それだけでも幸せになれると思っている人にはその人生が待っています。
幻想の世界であるこの世界は単純です。
何をみたいか、それが反映されてる、それだけなのです。
この方のブログは私が感じたことをとてもわかりやすく説明しております。
私も何度もブログを読み返しました。
こちらはこのかたの電子書籍です。
皆様の気づきの手助けをしてくれるブログだと思います。
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