そう言えばこんなことあったなというのを今日は書こうと思います。
ずっと前になりますが、スピリチュアルに関して知識がある方とランチをした時、「自己紹介をしてみて」と尋ねられました。
皆さんも考えてみてください
この質問でわかることは自分自身の設定が分かるとのことでした。
つまり、ほとんどの人は今までのアイデンティティーを作り出した経験を語るのでその設定で今生きているというのが分かるということです。
自分の経験の中で不満要素を話しだせばそれももちろん自分で作り出しているのでその設定をしていることに気がつきます。
なるほどなと思いました。
ちなみにその質問に、私はとっさに「分かりません」と答えました。
すると、「自分のことがわからないのは地に足がついてないって意味だよ」と言われました。
なるほどなと思いました笑
確かにキャラクター(質問した人)からみてキャラクターである私の説明ができないというのは意志がないように「見えますよね」。
「分からない」の意味
しかし私が答えた「わからない」というのは、キャラクターである私は本当ではないし、本当の私とは特定することができないものです。
いつものように説明すると、本当の私とは全体である意識そのものであり、そこには私とあなたという区別はなく全て一つであるから、私とあなたという区別が存在することができないのにどう答えればいいか分からないということです。
だから分からないと答えました(まぁその時はそんなこと考えてなくとっさに言ったのですが)
そういえばエックハルトトールも、自分は誰なのか分からなくなった人には拍手を送りますと言っています。
その時思考を使って「私は私でありあなたでもある、私は全であり一でもあります。そこになんの分離も存在することはないので私という特定のものを説明することはできません、そして・・・」とか言えるけどきっとその人も、そして私も何言ってるか分からなくなると思うので(当時私自身もまだ気づきを「言葉」で伝えるということができませんでした。気づきはあるもののエゴもガチガチだったなー^^;)何も言えませんでした笑
今回そのようなことで新しい学びを教えてもらったので有り難かったです。
多くの公共の場で自己紹介ってしますよね。この世界ではそれは避けることはできないでしょう。
自己紹介とは自分の歩みをストーリー仕立てに紹介しますのでエゴがその度に強く強固なものになります。
ときには過去から振り返り、そしてどうなりたいかと描いている未来(まだないものとして)を紹介する。私たちはそれをずっと繰り返してきました。
もちろんその場で「私は私のこと、分かりません」とは言えないと思います笑
自己紹介すら本当は意味を持つものではありませんのでそこに気づけていさえすればそれでいいのです。
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