私たち人間は一瞬一瞬を無意識ながらも選択しながら生きています。
その中で過去から繰り返されてきた思考や観念を元に行動していると何も変わりません。
そしてその行動の中に無意識にまで届いた観念や思考というものが「〜しなければならない」という脅迫的なものから動いているものが多くあります。
しかし、本来の私たちは完璧な存在なので〜しなければならない、〜してはいけないということはありません。
明確な意図があれば、その、「しなければならない」とか「してはいけない」という考えは無意味なものでしかないのです。
行動は重要じゃない
言葉を変えれば「してもいいし、しなくてもいい」。
どっちでも構わないのです。
何をしても正解。
何をしなくても正解。
うまくいかない原因は何をしても正解などということはあり得ないと否定しているから、何をしなくても正解というのはあり得ないと思っているからです。
私たちは常に答えを欲しがります。
それは安心のためにです。
安心がないと思っているから答えを求める。
「ない」から何かを得ようと選択することは結局「ない」現状を生み出します。
※本当は無いというはあり得ないので正確な言葉で言うと「無いが在る」です。
本来のワタシを思い出す
前提が「ある」ならば何を選択しても「ある」なのです。
とうことは本当は選択することに意味はないのです。
それをやってもいいし、やらなくてもいい。
やってもある。やらなくてもある。
必死に何かしなければ得られないと思うならその行動が必要ですが、ゆるーく生きててもそれは得ることができると思うならその通りになります。
この感覚が最初はわからないかもしれません。
私たちは何かを得るには必死にならなければ得られない、しかも必死になったところでそれが得られるとは限らない、そういう運命もある、などと教え込まれてきたからです。
特に日本人はそういうのが日本人しての美しい精神だと思っている人が多くいるので、その影響を受けて育った人の方が多いと思います。
そろそろその思考を外す時がきています。
私たちは思考から自由になってもいいのです。
私たちの本質は意識という思考とは次元の違う存在で、そこには愛と豊かさしかありません。
そこから生まれるキャラクターとしての意識ならば幸せや喜びということが前提にあるはずです。
その前提を知っているなら〜をしなければならない、〜をしてはならないというのは重要なことではありません。
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