年末は色々と忙しくしていて結構思考に囚われていたことがありました。
自分では気をつけているつもりではありましたが、あることが現実化したので思考に飲まれているということに気づきました。
それは何かというと「自分の中では意図していることと反対のことが起こった」ことです。
意図が思考によって取り下げられたことに気づいた出来事
年末の疲れがピークに達した時、歩いているとふと女性に呼び止められました。
何かというと「これを読んでください」とカードを手渡され、それと同時に女性が恵まれない環境で育っている海外の子供たちがいるのでその子たちのために募金をしてくだいということでした。
とても悲しい顔で訴えかけていました。
募金活動かぁ、と特に気にしない方もいるでしょう。
しかし私にとってはこの現実は私の意図とは全く反対の出来事でした。
どういうことかというと、私の大きな意図とは何度がこのブログでもフレーズとして出してきましたが、私が意図していたのは世界の人々が幸せであるということです。
しかし、目の前にいる女性は「世界にはこんなに貧しく不幸せに生きている人がいるんです」と、不幸をみていたのです。
それがショックでしたが何より私の世界にそれが入り込んできていたということです。
貧しく不幸せに生きている人がいるという世界を私自身が作り出しているということです。
意識が向かっているところに気づく
ザ・シークレットのなかでマザーテレサの言葉が出てきましたが、「反戦集会には行かないけど、平和集会には行くわ」という言葉にも私が伝えたいことが含まれております。
意識をどこに向けているかー。
どちらも戦争を反対しているがどちらにエネルギーを注いているかが違います。
反戦集会は戦争に自然と意識が向きますが、平和集会はどうすればより平和になるかと愛や平和に意識が向きます。
それと同じです。
募金活動というのはとても素晴らしい行動ですが、活動を行なっている人、募金をする人どちらも貧しさ、不幸にエネルギーを注いでいます。
世界の人々がこれまでも多くの募金活動に参加してきたと思いますが未だに募金活動が続いているということは募金活動が解決への道なのではなく、豊かさにエネルギーを注ぐことが世界を豊かにすることに繋がるのです。
意図が思考によって取り下げられていないか映る世界を観察する
話は大きく外れましたが私は募金活動に遭遇した(→自分の意図とはずれたことが世界に反映された)ことによって自分の思考がどこに向かっていたのかに気づくことができました。
キャラクターである私をコントロールすることは大事です。
世界がどのように反映されているか見るようにしてください。
意図していてもフッと流れてくる思考に流されて意図を取り消していることがあります。
自分がどこにいるのか、思考に囚われていないか、世界を見て気づくようにしてみてください。
この世界は仮想現実です。
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