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「在る」がゴールだと思うのは間違い

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在る意識
在る
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目覚めの話をするとどこか今はない別のところに意識が存在している。「在る」はどこに在るんだろう?と思ってしまう人も出てくるかもしれません。

在るがどこに在るのかわからない、意識が本当の私だと言っているがそれがどこに行けば気づけるのかわからない、いつまでのそこにたどり着かないんじゃないかと思ってしまうかもしれません。

 

 

どこに在るかわからないものを探すとなるとそれは大変かもしれません。

その在るを見つけることをゴールだと考えていたらもしかしたら見つけにくいかもしれません。

なぜなら在るとは文字の通り「そこに在る」からです。

 

 

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「在る」がゴールだと思うのは間違い

探究し続けると在るがゴールになってしまい、ゴールにたどり着くためには瞑想が必要、座禅が必要、断食が必要、、、といろんな手段を考えたくなるかもしれませんね。

そしてゴールを見るということは先に思考があり今ここ、ここに在る自分を見ていないということになります。

そもそもの前提が間違っています。

 

 

在るは常にあなたの”そこ”に在る

在るは常に0地点です。

あなたの1mm先でもなくあなたの未来でもなくもちろん過去でもなく、あなたの”そこ”に最初から在るものなのです。

 

 

インドの聖者であるラマナ・マハルシもこのように言っています。

「瞑想してはならないー在りなさい!

あなたは在ると考えてなはらないー在りなさい!

在ることについて考えてはならないー在りなさい!」

あるがままにーラマナ・マハルシの教えより抜粋

 


在るはどこにあるのだろう、どうすれば目覚めるのだろうー。この問いが自身の場所をわからなくしています。目覚めていることに気づかせていないことになります。

すでに在る。すでに目覚めている。

それがあなたです。

 

 

目覚めの先に何かあると期待している人、いますか?

目覚めの先というのはありません。

時間という概念がただあるように過去も未来もありません。

時間と同じように目覚めにはその手前もその先もありません。

ただ在る。

それが目覚めであり、最大の気づきです。

 

 

探そうとしないでください。

それはそこに在ります。

自分は何もわからないと否定しないでください。

本当はちゃんとわかっています。

その視点に立つ時、改めて気づきという形で現れるでしょう。

 

 

上で紹介したラマナ・マハルシの本は中古しかありませんが、対話式になっているので向き不向きがあるかもしれませんが気になる方は手に取ってみて欲しい一冊です。

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