私は、よく気づく事が大事とお伝えしていますが、中には「感覚がわからないから気づく事ができない」と思い込んでいる人もいるのではないでしょうか?
しかし、それは大きな間違いです。
私たちは本来たった一つの意識から分離した存在なので気づく事ができるのにそれをしていないだけです。
つまり気づく=本来の「わたし」=意識、ただ在るものなのだと思い出す、という事なのです。
気づく=「わたし」を思い出す
気づくということはすでに忘れてたことを思い出すということです。
しかしそう思おうとすると必ず思考が「知らないのにどうやって気づけばいいんだよ!」と騒ぎ出すかもしれませんがそれを無視してください。
無視して大丈夫なんです、本当は知っているんです。
知っていたことを忘れただけなので気づけるんです。
無い→在るになるんじゃないんです。
在るとこを忘れてただけなのです。
私は気づくことができないのかもしれないという思い込みは捨てて構いません。
「わたし」を思い出すことを阻むもの
「わたし」を思い出すものを阻むものとはもちろん思考です。
思考はあなたが本来の「わたし」を思い出してしまうとあなたの中に存在する事ができなくなるのでどうしても阻止したいのです。
あなたにはいつまでもこの世界への不安を持っていてもらいたいのです。
恐怖を持っていてもらいたいのです。
安心なところなどないのだと信じ込ませたいのです。
それが思考の存在できる理由なのです。
そんな思考の働きがあると知ってください。
そうすると思考との分離がしやすくなり本当の「わたし」が確かに在るということを「思い出します」。
本当は全ての人が、自分たちは幸せであることがデフォルトの存在なのだと気づく事ができます。
むしろ今はそれを選択できる時なのです。
なので選択しさえすれば「わたし」を思い出せるのです。
気づきとは全ての人に与えられたチャンス
気づきというのはどんな人でもあります。
それを思考で見えなくすることもできるし、その気づきによって本当の私が誰で在るかを知りこの世界をどう生きたいかを決めることも自由なのです。
そんな素晴らしい世界に私たちは存在しています。
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