私のブログでも何度か登場いただいているエックハルト・トールさんの「ニュー・アース」を久しぶりに読みました。
その中では子どもとの接し方について話しているパートがありましたので今回はそのことについて話そうと思います。
このブログを読んでいる方にはもちろん子育て世代の方がいらっしゃると思います。
私の姪も5歳になりましたがまだまだ甘えたい盛りですし、自分の気にくわないことがあれば泣き叫んで主張しております笑
子どもは大人よりもまだ観念などが少ない状態といえども、アイデンティティーをすでに持っています。
ですので怒ったり悲しんだりもします。
エックハルトさんは本の中でこのように説明しています。
あまり深刻に受け取らないこと。
欲求が満たされないことがペインボディの引き金になった場合には、要求に負けてはいけない。
そうしないと子どもは、「自分が不幸になればなるほど、欲しいものが手に入る」ことを学習する。
これはのちの人生の機能不全につながる。
(中略)
ペインボディの活動が収まってから、あるいは翌日にでも、子どもと話し合ってみよう。
「昨日、あんなに泣きわめいたのはどうしてだろうね?覚えているかい?
どんな気持ちだった?きみにとりついたのは一体なんだろうね、名前があるのかな?ないの?
あるとしたらどんな名前だと思う?
姿が見えるとしたら、どんな姿をしているだろうね?
そいつはどこかへ行ったあとは、どうなるんだろう?寝てしまうのかな?
そいつはまた来ると思う?」
この問い方はほんの一例にすぎないが、どの質問も子どもの観察力を目覚めさせることを意図している。
※ペインボディとは・・・人間には古い記憶を長々とひきずる傾向があるから、ほとんどの人はエネルギーの場に古い感情的な苦痛の集積を抱えている。そのことをエックハルトさんは「ペインボディ」と読んでいます。
子どもにもペインボディは存在していて私たち大人はそのペインボディと子どもを分離させることが大事です。
そのためには自分の中に起こったペインボディがなんであれ「どこからか出てきたもの」=「子ども(私)ではないもの」と子ども自身に認識させることが大切なのです。
それを認識させ、ペインボディが出てきたら問いてみる。その繰り返しをすることで子ども自身がペインボディに気づいていくのです。
もちろんこれは大人にも通じることです。
何か出てきたいらない感情に対して「何か出てきたな、こういうものをいつの間にか持っていたのか。」と気づく練習をすればだんだんと感情にとらわれることもなくなります。
私たちはドラマを楽しむために思考や感情を豊かにしてきました。
今となっては自分でどんなドラマを作るかを決める脚本家側だったんだと気づき始めました。
なのでいらない思考や感情を捨てることができるようになったのです。
今から私たち以上に楽しい人生が待っている子どもたちにどう大人が向かうかが問われることとなるでしょう。
子どもは大人より柔軟です。
目覚めた子どもたちにもしかしたら私たちの方が思考とは?感情とは?を学ばされることがあるかもしれませんよ^^
ちなみに久しぶりにニュー・アースを久しぶりに読み返してみましたが、初めて読んだときは眠くてほぼ頭に入ってこなかった内容がすごく分かりやすくなっていたので、私の人間意識もやはり変わってきたのだなと思ったところでした。
エックハルト・トールさんはエイブラハムやバシャールのような視点で語られている方とは違い、どちらかというとパパジやムージなどの視点をものすごく分かりやすく伝えているような気がしますのでぜひ読んだことがない方、手に取ってみてくださいね。
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