この世界で生きているキャラクターであるあなたは、時に辛い目にあって影で泣く日もあったと思います。
この世界は二極の世界で成り立っているので喜びもあれば悲しみもあります。
喜びだけで存在することはできません。
喜びを感じるのはその対極である悲しみを知っているから喜びの価値を知っているんです。
そう思うと私たちの生きているこの世界では無駄な感情などはないですね。
どれも大切な感情です。
ただ、そこまで悲観的になる必要ある?っていうところまで落ちてしまう人もいます。
それはどっぷり「この世界の中の個人」として生きていれば誰にでも起こりうることかなと思います。
自分の思い通りには行かない人生を歩まざるを得ないと、自分の人生を放棄している状態です。
でも同じ境遇にいて「自分は不幸である」と決める人と「私は幸せである」と決める人がいます。
その場合幸せを感じている方がいいですよね。
この世界で生きているのが私という感覚はホンモノではない
この世界の私は本当の私ではありません。
本当の私とは完璧な存在で、すでに幸せに満ち溢れている存在です。
何もかも完璧である私たちはキャラクターとこの世界で完璧ではない世界をいかに楽しむかゲームのような感覚で観ているものです。
ゲームですが意識としての私から見てものこの世界に存在する私も愛しい存在。
これが前提です。
この世界に存在している私の後ろには完璧な本当の私が見守ってくれているんです。
どんなことをしても私たちキャラクターは見守られているので結果幸せにしかならない、というのが本当のところです。
私というものの簡単な捉え方
意識である「私」が親だとしましょう。
可愛い可愛い我が子が苦しんでる様子を後ろから見ていい気がしますか?
この子は幸せにしかならないという100%のバックがあるので無駄な苦しみを与えようとは思っていません。
この世界にいる「私」は親が見守っていることに気づかず何もかも自分で判断しなければならないと思っているままだと、余計な思考・感情・エゴに振り回され続けることになります。
振り返って見てください。
本当のあなたは世界の中に存在する子供ではないのです。
子供であるあなたに最高に楽しい経験をさせたいなと思ってあなたを見ている親が本当のあなたです。
ですからキャラクターであるあなたは思う存分遊べばいいだけなのです。
ただ好きなことを選んでください。
楽しみを見つけてください。
そうすれば本当の私が望んでいることと、キャラクターである私の幸せが一致します。
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