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病気の原因と引き寄せ

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病気思考
病気
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今回の話は人によっては(観念がある方)はかなり抵抗がある内容かもしれませんので不快に思う方は即ページを閉じてくださいね。

不快になってまでこの記事を読むのはあなたのキャラクターのためによくありません。

でもその時期が来たら分かると思うのでその時に見ればいいと思います^^

 

 

先日母の職場の人の話を聞きました。

その人は髄膜炎(だったと思うとのこと)になって3年くらい前から病院で寝たきりになっており、左手しか動かない状態だそうです。

その人は職場の中で人と話す時相手を見下すような言葉だったり、常に誰かに嫌味を言っていたそうです。

職場の人たちはその人が寝たきりになったのは今までの行いに対するバチが当たったんだと考えてたそうです。

 

 

そして最近もう一人、職場の方が同じ髄膜炎で入院することになったそうです。

しかしその人は前者とは全く違い、誰にでも優しく人付き合いがとてもいい人だったそうです。

 

 

なんであんなに素晴らしい人がそんな病気にならないといけないのか、との話になったそうです。

そしてもう一つ職場のみんなの中で(母たちの中で)二人とも思い病気にかかってしまったのに二人とも正反対の人間性なのにどうして?という疑問が出てきたそうです。

 

 

この件に関しての話をします。

 

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病は勝手に発症してるのではない

病気

まず、病は気からという日本のことわざがありますよね。これは真実です。

病は実際起こっているから物質化しています。

それは紛れもなくその人の中から作られたものです。

その人の内面の重くドロドロしたエネルギーが物質として現れたのが病です。

 

 

前者は常にイライラを外に発散してました。

しかもそれは人を傷つけることで発散していたので不満・憤りを自分が作り出しているということを認められずそれをずっと繰り返してました。

それはいつまでたっても平安は訪れません。

結果自分には平安は訪れないというエネルギーが物質化し、病になりました。

 

 

後者はそれとは逆です。

想像でしか話せませんが病は気から作られるのが真実だとしたらその人は心の中に本当の自分を隠していたんだろうと思います。

いつもいい人を演じることで本当の私をずっと抑えて生きていた。

本当の自分を出せずにいるとストレスが溜まります。

ストレスも重くドロドロしたエネルギーです。

 

 

鬱になる人も会社や人付き合いが原因でストレスになり発症してしまいます。

 

 

どっちも実は同じなんですよ。

 

 

自分と社会(自分以外、世界)の分離がはっきりと行われており、さらに本当の自分とキャラクターの自分があまりにも違いすぎる。

本当の私は愛や平安の中にあり、また、愛や平安でもあるんです。

 

 

愛・平安の中には病は存在できない

愛の中に病は存在できません。

 

 

キャラクターである私たちも愛や平安そのものです。

どんな自分でもOKというありのままでいれる状態がベストです。

 

 

本当の自分とキャラクターである自分の相違によってストレスが起こります。

病はそこに気づくために起こります。

しかしそれを無視し続けるとキャラクターが壊れてしまいます。

 

 

そしてここでもう一つ。

大切な話をしますと、誰かのそういう話(今回は誰かの病気の話)を聞いた自分がどう思ったか、どう感じたか、が重要です。

 

 

外の世界で起こったことで自分が何を創り出しているか、というのに気づく必要があります。

例えば病は誰にでも起こるものだ、だから私もいつ重い病気にかかってもおかしくない、という思考を作り出し、それを持ち続けるなら病は物質化します。

外の世界で起こったことに自分がどう反応するかというのが実は大事なところなのです。

 

 

外の世界は自分の中の世界の反映と同時にまたその世界を判断して中の世界を創り出します。

病を作り出すこともできるし作らないと決めることもできます。

コツは執着しないことです。

コメント

  1. ニカ より:

    またまたこんにちは(╹◡╹)
    気づけば夢中でmihoさんのブログを読んでいます。

    ひとつ、加減が分からないのが、
    "コツは執着しないことです"
    とありますが、自分の作りたい世界を
    意図し続けることは大事ですよね?
    ただそれも、気づいた時に何回も、「平和な世界になる」「平和な世界になる」
    と意図すりことは執着になってしまうのでしょうか?
    なるべく、余計な思考には気付くようにし、取り下げるエネルギーを感じたら手放すようにして、また意図を思い出し、すっかり安心しているだけですが、何度も何度も意図する(思考にはっきり伝えるというのでしょうか)ことは、よろしくないのでしょうか??

    • mihomiho より:

      またまたありがとうございます^^笑

      確かに意図は大事です!ですが、何度も意図を唱えるということはその前に「そうならないのではないか?」と思考が出てくるからです。
      意図を持ったらその世界に本当は移動しているのですがそれを信じられないというのは意図を取り下げていることになります。
      これを繰り返しているのが何度も意図をするということです。

      例えばニカさんが12時になったらお昼ご飯食べよう、と決めるとします。
      その後ニカさんは「いや、もしかしたらそう決めたけど食べれないかもしれない、もう一回意図しよう!」なんて絶対ないですよね笑
      ちょっきり12時に食べれるかはともかくニカさんはそのあとお昼ご飯を食べます。

      願いに大きいも小さいもないのでこの例えにしました。
      (大きい小さいを決めているのも思考だからです。)

      願いが叶わないのは意図を取り下げているから、あるいは自分で勝手に「願いが今現実化していないのはおかしい!」と思っているからです。
      いつどのように叶うというのは人間である私たちには操作できませんので現実化するタイミングが希望に添わないことはあります。

      意図した瞬間その世界になっているのであとは待つだけでいいんですよ。
      って言っても最初は難しいかもしれません笑
      ここら辺はふっと分かるようになってきます。安心してください^^

      他にも気になることがあったら教えてくださいねー♪

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