以前シュレーディンガーの猫の実験の内容をブログに書きました。
私がこの実験から「観察者がその場にいない限り結果がわからない」と分かったのは過去の日常からです。
これは絶対に皆さんも体験しています。
「観察者がその場にいない限り結果がわからない」とは?
私がこれに気づいた体験談を一つ。
私の大叔母が足腰が悪くなったので施設に入ることになり、大叔母が一人暮らしをしていた場所を引き払うために掃除をしたりと通っていました。
その場所が市営住宅でかなり年季が入っており、なかなか一人でいるとちょっと怖い笑
ここに監視カメラをつけたら絶対何か映るんじゃない!?と妄想しておりました。
ただカメラを設置するにもどうすればいいかわからないし、そもそもそこまでするつもりもありません笑
と色々思っているうちにあっ!と気づいたのです。
たとえ夜中、幽霊が出たとしてもそれを確認するにはここにカメラを設置するしかない。
さらに言えばそのカメラを私が目で見て確認して初めて幽霊が出るか出ないかがわかる。
ということはそれを観察しなければ何もわからないじゃないか!!
ここまではもしかしたら普通に考えつくかもしれません。
さらに私は気づいてしまいました。
その場にいない限りそもそも大叔母が住んでいる場所自体があるとも証明ができない!!
いやいや何を言っているんだと思われるかもしれません。
何度も行った場所がないわけないじゃない、病院行った方がいいと思います。
そう思われるかもしれません。
しかし単純に考えてみてください。
それはただの過去と呼ばれるものの記憶と呼ばれるものが私にそうさせています。
このブログを何度も見ている方はお気づきではあると思いますが、過去というものもただの概念であり目を閉じてみて何もない空間に私を置いてみるとそんなものは存在しません。
同様に記憶というものも思考が作り出した幻想です。
それを確実なものとすることの方がナンセンスなんです。
(そのナンセンスの連続の中に私たちは生きています^^/)
こんな身近なものでさえ実は幻想でした、となるとさてさて宇宙とは・・・??
宇宙は存在しない。だからこそ無限の可能性がある
あなたは宇宙へ行ったことありますか?
宇宙へ行ったことがないならなぜそれが存在すると言い切れるのでしょうか?
テレビで見たから?
インターネットで調べたらそういうのがあるって出たから?
でもそれがフェイクニュースだとしたら?
観察者がいなければそれは不確実なものとなりませんか?
もちろん宇宙へ行ったことある人もいると思います。
では宇宙に行っている間に普段住んでいるあなたの家は本当に存在するのでしょうか?
あなたが宇宙に行っている間にあなたも同時に普段住んでいる家にいなければそれを証明することはできません。
私の体験談や宇宙を例に挙げてみましたが、隣の街でもいいし隣の家でもいい。
目の前にある道を曲がった先でもいい。
全て同じことを言っています。
私たちは一瞬で目の前をクリエイトできる存在
観測者がいない場所は存在することを証明することができません。
一方、目の前にはいつも通りの風景、当たり前の風景が並んでいますよね。
夜寝て朝起きたら当たり前の部屋がある。
これって実はすごいことなんじゃないかなと思うのです。
(いや、なんでもできる私たちは実はすごくないか笑)
でも一瞬で目の前に世界を作り出すことができる私たち。
ならば見たい世界を見ることも本当は可能な無限大の私たち。
曲がり角の先に何があるのかを創り出すように、なりたい私も本当は創り出すことが可能なのです。
いろんな凝り固まった思考があなたのクリエイトを邪魔するかもしれません。
でもただのかまってちゃんでしか生きていけない思考を可愛がりながらも、自分のなりたい姿というのを想像してみましょう^^
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