瞑想は心を落ち着かせるためにやるのはとても効果的だと思います。
私も瞑想というかぼーっとする時間をなるべく持つようにしています。
思考がうじゃうじゃ動き回るのを観察している感じになります。
このように瞑想は心を落ち着かせるのにはおすすめなのですが、皆さんはどうでしょう、目覚めるためのツールとしてあるいは修行ではないけど無になるために瞑想するという方も中にはいらっしゃるのではないでしょうか?
実際昔の私は無の状態を見つけたくて瞑想していました。
座禅も習いに行ったりお寺に朝早く行ってやったりもしました笑
みなさん、「無」になれましたか?
私はなれませんでした。
最初の方でもお伝えしたように溢れるように思考がうじゃうじゃ湧いてくるんです。
「明日はあれやってこれやって。。。」
「あの人に連絡しないと、したくないなぁ(→笑」
「どうやったらこうなれるかなぁ」
「お腹空いてきた」
などなど
思考が永遠に出てきます笑
止まりません!!
ではどのようにしたら思考は止まるのでしょうか?
答えは「思考は止まりません」。
そう、思考は止まらない、なのでどう頑張ったって意味がないのです。
え?でもネットで調べると思考を止める方法ってたくさん出てくるよ!?
本当に止められるとするならそれは逆に思考とあなたが完全に一心同体的存在の場合です。
皆さんの周りに私は思考を止めることができると言っている方はいらっしゃいますか?
私は思考を止めることができる人と出会ったことがありません。
思考と本当のあなたが完全に一心同体であることはありません。
本当のあなただけが唯一無二の存在であり、移り行く幻想の一つである思考は一心同体に離れません。
一緒だと思い込んでいることはあり得ますが。
思考はただ流れる雲のように湧い出てくるもの、左から右に流れるものです。
思考はあなたではないためあなたが思考よ止まれと命令しても止まってくださいとお願いしても止めることはありません。
次から次へと新しい思考が流れてくるだけです。
思考は止めることができない、ではどうするか。
思考が湧くその瞬間を観る。
思考に注意を向けたり思考が発したことに対して答えることもそれは思考が行うこと。
そうではなく思考が雲のように流れるのを観る。
その感覚が掴めるようになってきたら思考が湧くその瞬間を視る。
口では簡単に言っていますが、瞑想とはそのように自分と思考との分離を静観する時間なのでそれになれるまでは時間もかかるでしょう。
しかし瞑想は思考を止める練習だと思っていた時からすれば大きな気づきの一歩ではないでしょうか。
そして思考はコントロールできるものではないと気づきそれに囚われることも思考が行なっていることなのだと知ることが大事です。
流れゆく雲に何を叫んでも、そしてその叫ぶ言葉を選んでいるのさえ本当の私ではないことを知り、抗うことなくただ在る、その瞬間に留まることができれば雲に向かって叫ぶ必要がないことが分かります。
コメント